いわゆる二世と公募制度について

いわゆる二世批判について、当事者であるが故に事情通でありますから、公職選挙の新人候補者擁立において政治の浄化のために何ができるかを、公募制度の改善ができるとすればそれは何かを、極力客観的に綴りたいと思います。

政治のマネジメント、政党のマネジメントにとって一番重要なのは、如何に政治的資質をもった人材を確保し、育成するか、であるはずです。であるならば、いわゆる二世が努力もせずにのほほんと暮らし自動的に公党の公認をとることは、人材確保の観点で問題です。では、門戸を広め、公募による候補者選定を行ったとして、仮にその公募が本当に透明で公平で正しい人材判断ができるものであれば、人材確保の問題は解決されると思っています。

問題は、公募は本当に正常に機能しているのか、つまり、人材を正しく確保するにたる制度なのか、であるはずです。

戦後直後から高度成長期に至る過程で、政治家が政界に飛び込むきっかけとなったものはどんなものであったのか。それは、殆どの場合、政治家が時間をかけて手間をかけて、日本のためになる中身のある人物をちゃんと見極めた上でその人を候補者として擁立していました。裏を返せば密室で公党の候補者が決まっていたわけですが、それでも人材確保という観点では、機能をしていた。

ところが後に、人物を評価しないまま、選挙に有利になるから、というだけで候補者を擁立する、いわゆるパフォーマンス&票のための選挙の時代になった。ろくでもない息子や娘やタレントであっても選挙に強ければ擁立する。当然国民からの批判に晒されました。それではいけないと、現在では候補者を選定するプロセスを、密室ではないくオープンにしました。いわゆる公募選考です。この公募は、一般的には面接と演説を通じた党員による投票できまります。

しかし、その応募者が本当にどんな人物なのか、たった数度の面接と演説だけで政治家の資質を判断できるものなのか甚だ疑問です。弁舌爽やかで甘いマスクであれば、人は魅了されますが、政治家の資質とは、それだけではないはずです。物事を全く判断できない人、理想に燃えながらも人を懐柔し説得する手腕がないひと、人の心を読めないひと・・・など。人間は少しは付き合ってみないと本質的には分かりません。今の公募制度ですと、いわゆるこうした政治家には不向きな人でも、演説がうまいだけで通ってしまうという可能性もあります。

私の場合は秘書としてかなり有権者の皆様と接してきました。早朝から晩まで地べたを這う生活をしてきました。休日は一年を通じて2日だけ。そうした何年にも亘る活動を通じて接していただいた方からは、私は十分に人物評価を、良くも悪くも、頂いていると思っています。

公募制度を改善するとすれば、公募締め切りから公募選考までは少なくとも1年以上にし、候補者全員には、選挙区内の党員に十分に付き合っていただく努力をしてもらうこと、そしてその間に何度かの演説会等を催すことによって党員に候補者を良く知っていただくこと、などです。

私は公募で通ったからと言って二世ではないなどと言うつもりは全くありません。しかし、日本の政治が真っ当な政治になるようなご意見を頂きたいとは思っています。

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