靖国神社昇殿参拝と戦没者追悼式

おそらくは、70年前の、私より遥かに若かったであろう先人先達も聞いたであろう悲しげな蝉の声、そして見たであろう夏の生き生きと青々とした草木に包まれながら、本日、国家の未来をその目で見ながら涙して散華された戦没者の御霊に哀悼の誠を捧げるために、靖国神社に昇殿参拝して参りました。

決してナショナリズムを背景に靖国神社に参拝しているものではなく、決して過去を美化し正当化するために参拝しているものでもありません。あくまで恒久平和を先人先達の前で誓い、未来に責任を持つために、歴史に謙虚な姿勢で過去に責任を負うために参拝しているものです。

どうして過去に責任を持てない人が未来の責任を負えるのでしょうか。我々は常に歴史という時間軸の中で責任と権限を考えていかなければなりません。それが政治と言うものだと思います。そしてその上で、私はこの靖国神社の意味を、日本人の日本人さがしという文脈の中で噛み締めているものです。

改めて、繰り返しになりますが、恒久平和を誓うものです。

(靖国神社については何度か書いていますので、最下段にある敬太郎に聞いてみようから検索してご参考ください)