【善然庵閑話】信じる心とカラマーゾフ兄弟とエル・サルバドル

カラマーゾフ兄弟。亀山先生の翻訳が世に出てから一世を風靡しましたが、私も時流に乗って本屋に出向いた口です。結局読み切っていませんが、なぜ読もうとしたのかというと、これも随分前に、ITUの事務総長を務められた同郷の内海善雄さんに、名著、仏像ー心とかたち(NHKブック)、を勧められ、それにカラマーゾフ兄弟の話がでてきたからに他なりません。

この仏像の著者(60年代の著書)は、日本人の思想のルーツの1つになっている阿弥陀信仰について、このカラマーゾフの件をひっぱり出してきているのですが、何を言っているかと言えば、現代人(半世紀前の)は西方十万億土で極楽往生できるなんて思っている人は少ない、のだけど、経典を知らずに阿弥陀信仰に根差した日本文学を最高文学と言ったりしている人が多いことの意味を分析しています。

引用されているカラマーゾフ兄弟はどの部分かと言うと、神や悪魔は存在するのか、という問いを、酔っぱらった父親のフョードルがカラマーゾフ兄弟にふっかけるところです。無神論者のイワンは存在しない、と言い、信心深いアリョーシャは存在するという。では不死は存在するのか、という父親の問いに対して、同様にイワンは無いと言いアリョーシャは不死は神の内にあるという。結局、フョードルはイワンの方がもっともらしいと言い、その理由として、もし神がいれば人類は苦労していない、ということを言う。そして、この件の最後は忘れえない表現で終わっている。それは、フョードルが、誰が神などということを考え出したのだ、と憤慨するのに対して、イワンが、神を考え出せていなければ、文明もない、と結ぶところです。

神を考え出せていなければ文明もない。この言葉の意味は実に深い。しかもイワンが言うところ。

じつは、ダン・ブラウンの「天使と悪魔」でも、カメルレンゴ(ローマ教皇秘書長)がラングドン教授(トム・ハンクス)に「神を信じるか」としつこく問いただすシーンがでてくるのですが、それに対してラングドン教授が、正確な言葉は忘れましたが、学者だから信じないけど信じたい心は信じる、という趣旨のことを言っています。

信じたい心というのは、無信心なイワンでも、宗教象徴学という難しい理論家のラングドン教授でも、持っているものだということでしょうか。

信じたい心。夢や希望に通じます。そして吉田松陰は、「夢なき者に理想なし、理想なき者に計画なし、計画なき者に実行なし、実行なき者に成功なし、よって夢なき者に成功なし」という言葉を残しています。世界一イノベーティブな環境を作る。

今日、エル・サルバドルの素敵な大使が事務所にお見えになり、いろいろな素敵な雑談を交わしましたが、そのあとに想った徒然なることを書き綴ったまでです。

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