【善然庵閑話】島流しーEXILE

久しぶりに善然庵閑話シリーズです。

EXILEという伝説のグループ。恥ずかしながら芸能関係に極めて疎い私ですが、なんとはなしにATSUSHIに強い職人気質を感じて注目していたグループですが、最初に聞いたときに何故、EXILEという名前を付けたのか不思議でした。

EXILE。追放とか放浪とかの意味ですが、香川に住む私としては、何となく島流しを想像させられる単語です。島流し。Be exiled to an island。

ご存じのように、歴史的に四国は島流しの刑で配流されることが多かった地で、例えば法然。南無阿弥陀仏さえ唱えれば極楽浄土に行けるという思想を流布し爆発的にヒットした浄土宗ですが、当時のこの新興宗教は旧宗派に迫害され、結局は後鳥羽上皇により法然は讃岐(香川)に配流される。

讃岐に来てからが面白くて、めげずに流布を続け、たった1年弱で浄土宗は讃岐No1の宗派となってしまう。多分そののち親鸞の浄土真宗にとってかわられるわけですが、いずれにせよ、結果、香川には法然が滞在した痕跡がいくつか残っています。その一つが地元では知らぬ者はいないはずの、滝宮神社。神社なのに念仏踊りというのが行われているわけですが、単なる神仏習合の結果ではなく、法然滞在の頃、地元の人が雨乞い踊りをしていたところ、法然が南無阿弥陀仏を振付けた結果、「ナムアミドーヤ」という掛け声のもと、不思議な神仏習合の形になったのだとか。

島流しと言えば、もっとも有名なのは、日本最強の怨霊と言われる崇徳上皇かもしれません。保元の乱で追放された上皇は、京都の仁和寺から愛媛を回って今では香川県坂出市にある白峰神社に入る。ここで崇徳上皇は京に戻りたいと言う思いを強め、写経したものを京に送れば許しを請えると思い、3年かけて実行するも、後白河上皇への呪いの写経だとの理由で突き返される。それを見た崇徳上皇は怒り狂い、自らの舌を噛み切り、その血で呪いの経典を書き、海に沈めて、天皇家末代までの呪いとしたとか。後代の天皇家は何度も祟りを鎮めることを試みているのだそうな。そして、白峰神社付近には様々な恐怖伝説が今でも残っています。

また、島流しではありませんが、源平合戦の主要合戦上の一つである屋島の戦いで、源氏の行った平家の残党狩りは厳しかったらしく、西方に敗走したのですが、そのため平家の落人伝説はいたるところにあります。特に有名なのが、今の香川県観音寺市大野原町から徳島県の祖谷への平家の落人。恐らくここらへんの出身の人は平家の末裔なのでしょう。平がついた平田とか平岡などの姓が8割を占める町もあったりします。

まったくもっておどろおどろしい話ですが、その手の話は尽きません。私が居を構える丸亀市には名城百選にも選ばれた丸亀城があります。大きなお城ではありませんが石垣のカーブが美しい。昔、さだまさしが、「城のある町」という丸亀城をモチーフにした曲も発表したことがあります。で、ここには、豆腐売りの人柱伝説というのがあります。築城当時、石垣工事が難航したために人柱をたてることになったのだが、誰もいないのでたまたま通りかかった豆腐屋を埋めたのだとか。工事は順調に進んだが、今では雨が降る夜には「とーふー、とーふー」と聞こえてくるとの伝説です。

おどろおどろしいストーリですが、こうしたものを観光につなげることは難しいのですかね。特に外国人観光客はストーリを重視すると言いますから、京都あたりの観光客を呼び込むのに使うのは、少し罰当たりでしょうか。

参考文献:北山健一郎著、香川「地理・地名・地図」の謎

カテゴリー: オピニオン, 善然庵閑話, 歴史挿話 この記事のURL