【善然庵閑話】阿南惟幾

昨年末、次世代リーダーフォーラムという会議に参加させて頂いた際に、阿南惟茂さんという駐中国日本大使を務められた元外交官にお目にかかりました。阿南さんと言えば、ご尊父はあの阿南惟幾。終戦時、鈴木貫太郎内閣で陸軍大臣を務め、最後まで戦争継続を訴えた後、終戦の8月15日に自害して果てた人物で、一般には、戦後教育を受けた世代が持つイメージは、けしからん陸軍の代表というようなものだろうと思います。

しかし、当時、内閣書記官長であり終戦詔書の起草の任にあたった迫水久常が、後に当時の昭和天皇陛下や官邸周辺の政治家・軍人の動向と感想を書き綴った文章が残っており、考えさせられる内容であったのをはっきりと覚えています。

陛下の終戦のご英断を拝した8月14日の深夜、迫水が鈴木総理と二人で総理大臣室にいたところ、阿南大臣が入室し「終戦の議が起りまして以来、私はいろいろ申しあげましたが、この事は、総理にご迷惑をおかけしたことと思い、ここに謹んでお詫び申し上げます。私の真意は一つにただ、国体を護持せんとするにあったのでありまして、あえて他意あるものではございません。その点は何卒ご了解くださいますように」と総理に詫びを入れたところ、総理は「そのことはよくわかっております。しかし、阿南さん、日本の皇室は必ずご安泰ですよ」と返答した。阿南が最敬礼をして退出したのち、総理は迫水に「阿南君は、暇乞いに来たのだね」と言ったのだとか。そのことを、迫水は、「この時の光景は終生忘れられないところでして、殊に総理のお言葉は、誠に深遠な意味があると思います。この学問の教えである伝統の原理を体得した方でないと出ない言葉であり、また意味も判らない言葉ではないでしょうか」と書き残しています。

更に、阿南大臣は侍従武官として陛下に直接お仕えし、陛下の御心はよく知っておられたのにもかかわらず、なぜ戦争継続を訴え続けたのか、その理由を推察しています。曰く、「ほんとうに苦しい腹芸をされたのだと思います」「私は心から阿南さんを尊敬します」と。

本当は終戦の外やむなしと思っていたはずだが、自分が終戦を言えば部下に追い落とされていたはずで、そうなると内閣としては陸軍大臣を補充する必要がでてくる。しかし、軍が補充を承諾しなければ、内閣は総辞職しなければならなくなる。そうなれば終戦はできなくなるはずだ。だから、腹芸を続け、その思いを墓場にもっていったのであろうと。

真実は分かりません。しかし十分にあり得る話なのではないかと思っています。ちなみに阿南が唯一の目的とした国体護持。戦後、イギリス・中国・ソ連によって天皇制廃止が叫ばれていたにも関わらず、アメリカの駐日大使を務めたグルー氏などの尽力で、皮一枚つながったとの史実が残っています。

人は見た目では分からない内面がある。おそらく、この学問の教えである伝統の原理を体得するとは、そういうことなのだと思います。

今日、なんとはなく、この方のことを思い出しました。国会終了後、地元飛行機に乗るまでのひと時を過ごしながら。