マサダで窮鼠猫を噛むを考える

イスラエル人の精神的支柱の一つになっているとされるマサダという歴史上の遺跡が西岸地区南、ヨルダンとの国境近くに存在しています。

約2000年前。古代ローマ軍に包囲されたユダヤ人。3年以上にわたる籠城も虚しく遂に城壁が破られ、奴隷になるより死を選ぼう、と、約1000人弱が集団自決をした史実です。

「イスラエル人のことを、やたら強気で好戦的な人と思っている人もいるけど、イスラエル人を理解するには彼らの二面性を理解しないとだめだと思うな。」と語るのは、イスラエルに30年も住んでいる日本人男性。「だからマサダを理解することはイスラエルを理解することだし、イスラエルを理解すれば中東もちょっとは理解できる」と。

二面性とはなにか。弱いから強いのだと。窮鼠猫を噛むという言葉が日本にはあるけれど、鼠が弱いと知らずに猫を噛んでる鼠を見るのと違うということだと思います。

日本人からすれば、複雑で諸事折り重なった歴史の中で生まれた現状の中東は分かりにくい。本質が本当に窮鼠猫を噛むなのかどうかもわかりません。しかし、少なくとも言えることは、命が軽く扱われてはいけないということであって、そのためには、どれが猫でどれが鼠かは置いておいて、窮鼠の状態を作らないことであって、猫をかまさないように国際社会が連携しなければならないということです。

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