秋の夜話〜フランダースの犬と地方分権

 
フランダースの犬という漫画は日本では浦島太郎と同じ程度の社会的地位を築いていますが、物語が画かれたフランドル地方のベルギー、アントワープでは殆ど知られていないのが不思議だ、と、司馬遼太郎のオランダ紀行というエッセー集に収められていたのを、地方分権を考えていて思い出しました。

そのエッセーの主題は、大正時代に日本に渡ってきた物語が日本では語り継がれ、作家本国のイギリスやベルギーでは全く忘れ去られた理由を司馬遼太郎らしく、深く深く掘り下げて述べていらっしゃいました。

物語は、ネロ少年と祖父、そして飼い犬のパトラッシュが、貧しく不幸な境遇のなか、慰めつつ懸命に生き、しかし結局は疎外にうちひしがれ、息を引き取るというものです。

何故ヨーロッパで忘れられたのか。司馬遼太郎曰く、16世紀から起こった個人の自立と独立を説き続けた英国のプロテスタンティズムが、ネロの世界の19世紀にはヨーロッパに広まっており、15才にもなってなぜ雄々しく自由の世界に飛び込んで自らの道を切り開かなかったのかという点で、ヨーロッパでは不満に思われたことが、想像できる最大の理由だとのこと。

では何故日本でしか語り継がれないのか。司馬は忠誠心について触れていますが、個人的には、不幸な境遇にも関わらず諦めないで頑張る姿に共感するのだと思います。頑張ったけど結果ダメだった。それが「フランダース」。一方で、最後まで頑張った結果這い上がれたのが「おしん」。フランダースに「おしん」的要素を感じ取れるかどうかが境目になるだけであろうと思います(日本人にはできる)。だから、仮にネロの息を引き取るシーンがなければ「おしん」に通ずる世界中の大ヒットになったかもしれません。

地方分権が頓挫しています。野田首相は所信表明演説で地方分権については一瞬しか触れませんでした。地方の自主性独立性により、地方を活性化させることが日本を活性化させることだ、という方向性と目的は、自民も民主も変わらないはずです。プロセスはかなり違いますが、推進していかなければなりません。

ちなみに〜この物語を簡単に振り返ると、主役は、ネロ少年・祖父・パトラッシュという犬。ネロは、小さな小屋で祖父と牛乳運びをして生計を辛うじて立てている貧しい少年で、画家になることが唯一の夢と希望。祖父が提供する仕事を手伝って祖父を懸命に助けようとする。一方パトラッシュは、金儲け主義の権化に飼われ酷使され捨てられたところをネロと祖父に拾われ、祖父・ネロを牛乳運びの手伝いをすることで助けるという設定。この3者が、助け助けられのもたれあい関係で、訪れるいろいろな不幸を潜りぬけていくという物語ですが、祖父がなくなり、牛乳運びの仕事を失い、小屋を追い出され、最後の夢と希望であった絵画展への応募も落選となり、打ち破れて最後に教会に掲げられたルーベンスのキリストの絵の前で精根尽き果てて、パトラッシュに見守られながら息を引き取るという話です。

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