ヒュースケンと伊藤博文とケビンメアと

 
ヒュースケン。幕末から明治期のころの話。初代の米国駐日公使になったハリスの秘書兼通訳として日本に渡ってきた青年の名前で、好奇心旺盛で自由奔放な性格。それでいて、当時としては当然視されていた植民地支配に対する反対の論文を本国に送るなど、青年らしく勧善懲悪思想の持ち主でした。

ハリス同様日本びいきで、日米間の諸問題の解決に日本の立場を尊重しつつ尽力するわけですが、結局、生麦事件同様に攘夷思想に突き進んでいた志士によって殺害されてしまいます。この事件は事実上の不問になっていますし、歴史が動くほどの影響を全く与えてはいませんが、当時の日本にとって敵を知り己を知ること、とくに攘夷であればなおさらで、ヒュースケンを良く調べうまく使うこと、のほうが得策ではなかったのかということです。

歴史上、誤解や曲解で、本来葬るどころか助けなければ成らないのにもかかわらず、逆の動きをしてしまっている場合が多々あります。日本の伊藤博文は、外国語の能力が決めてとなって44歳の若さで初代内閣総理大臣になった人ですが、征韓論に猛反発し、戦争観は迫害あって一利なしとするものであったし、そもそも国際協調を重んじた発言が多い。それが、初代の韓国総督府総監になったものだから、韓国人から見れば悪の権化。案の定、ハルビンで安重根によって暗殺され(現在でも韓国では安重根は英雄視されています)、結果的に伊藤博文がいなくなったことで日本による韓国併合が早まったとさえ言われています。

東日本大震災の前日、ケビン・メアさんという在日米大使館で日本部長をされていた方(当時は沖縄総領事、現在は国務省退官)が沖縄に関しての失言で辞任に追い込まれました。当時、ブログでも触れましたが、日本人の奥さんがいらっしゃって沖縄に長く住み、国務省でも知日派として知られる人でした。最近、決断できない日本というタイトルの本を出版され、メディアにもよく登場されているので思い出しました。日本政府の震災対応について大きく考えさせられるご意見を述べられていらっしゃいます。

いずれにせよ、失言であぁなった以上、辞任は当然だとしても、辞任は当然である以上に残念であり、またそれ以上に、辞任に追い込んだ当時の報道のあり方やリークしたとされる学生と担当記者の関係など、残念なことは多い。さらに言えば、ケビンメア氏はどういう人物なのか、ろくに調べもせず、感情論でヒュースケン同様に政治的に抹殺してしまったことは、日本人は反省しなければならないと思います。