白洲次郎と解散権

 
もうこれで5度目くらいかもしれないが、白洲次郎の「プリンシプルのない日本」を再度読み返し、改めて憂鬱になる。憂鬱になったついでに、文体は白洲ばりにして気を紛らわすことにした。不快に思われる御仁もいらっしゃると思う。その向きは今日は付き合わぬこと。と思いましたが、書きにくいのでいつもの文体に戻します。

で、なぜ憂鬱になるのかですが、白洲の時代は戦後直後の1950年前後。そのころから政治や政党といったものがほとんど変わっていないのではないか、選挙制度はずいぶん変わってきたけれども、なんだかこの60年間、なんの進歩もしていないのではないかと感じたりします。否、今の政治が60年前と一致するというだけで、途中は違ったのかもしれません。いずれにせよ、改めて読み直すたびに、とても60年前に書かれたエッセーだとは思えない内容になっています。

政治の浄化、というか、政治の信頼を取り戻すためには、立候補しようと思う人自身の気概と志、などの素質の問題になってくるのは当然として、やはり政体やら政党システムなどといったものも、今一度根源に立ち返って見直す必要があるのだと思います。その意味では憲法も真剣に見つめなおさなければなりません。

というかすでに国会では、改憲のための憲法調査を熱心にやっています。国民世論も議論に参加しているように見えます(改憲支持率が徐々に高くなっています)。10年前と比べると、国民世論調査結果は隔世の感があります。

私は改憲論者です。改憲をしてふつうの国にしなければならないと思っています。理系的に言えば、現状は局所最適です。少しずれたところは今よりも悪い。でも、大所最適はどこかにある。それを改憲して見つけなければならないし、それを恐れてはいけないと思っています(わかり難い例えですいません)。ですから、憲法については、9条をはじめいろいろと申し上げたいことはたくさんありますが、今日は白洲の憲法のプリンシプルについて書いてみたいと思っています。

白洲の憲法に対する考えは、「押し付け翻訳憲法」と指摘している一文字でわかります。「まさかと思う人は米文の憲法原案の前文を見て御覧なさい。日本人が日本の憲法で「我々日本人は云々」とやり始めるでしょうか。」と言っています。そして、白洲の憲法に関する指摘はもっぱら政体のありかたです。その内容は政治嫌いの白洲らしい発想ですなのですが、それはさておき、一番勉強になるのが、解散権についてです。

もともと解散権は、内閣不信任が可決されたときか信任案が否決されたときのみを想定して憲法は作られています(いわゆる69条解散)。つまり、いわゆる天皇の国事行為としての解散(今は乱発されている、いわゆる7条解散)は当時は無かった。吉田茂首相がGHQに確認したところ、7条解散はできないと伝えられた。さもありなんです。

現在は、いわゆる7条解散がほとんどで、解散のときは議長が「7条により解散する」と明言するにいたっていますが、当時、白洲は(吉田も)、内閣が解散権を持たないのはおかしいではないか、7条解散はあるべきだ、と指摘しています。後に、主権回復後の昭和27年に同じく吉田首相によりはじめて7条解散が実施されています。

もともとの憲法精神は、69条だけのはず。69条を実施するにあたって行為を天皇が行うことを担保したのが7条だということだと思います。それが27年から解釈が変った。

内閣が持つ解散権は、それこそ強大な権力であって、議会対策の最大の武器ではありますが、実は私は小泉解散のあたりから、当初の精神に戻したほうがいいのではないかと思っていました。余りに解散を乱発すると議会は選挙ばかりに目が行き、正常な政策論争などしなくなる、というのが趣旨でした。白洲の考えは、ダメ議会は何度でも解散してやるという、というものだと思います。しかし、ダメ内閣だったらどうなのだろう?解散をちらつかせるだけで解散しないとなると、ずっと居座ってしまう。いろいろと考えさせられる問題です。
 

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