斎賀富美子さんの思い出

とても明るく冗談の好きな知的で笑顔が素敵な女性でした。斎賀さんが国連代表部にいらっしゃったときに、一度だけ夕食を共にする機会がありました。5~6人のグループでしたが、積極的に知的な会話を楽しんでいるようでした。

丸高の先輩ということもあり、私の憧れ的な存在でした。

大学を卒業して直後の95年のころ、なぜか国際法に興味を持ち、山本草ニの国際法などを買ってきては読み耽っていました。漠然と国際関係や安全保障に興味を持ち始めていた時代です。そのころの最大の疑問の一つが国際司法裁判所。なぜこれほど権限が弱いのかということでした。

国際刑事裁判所を設立するべきだというムーヴメントはその当時はすでにあったと記憶しています。是非これはつくるべきじゃないかと私も思っていました。そして、2003年の春、当時購読していた新聞に、国際刑事裁判所がハーグに設置されたという、ほんとうに小さな小さなベタ記事が掲載されていたのを見て、しびれる思いがしたのと同時に、これほど歴史的な瞬間がなぜこれほど小さい扱いなのかマスコミの感覚を疑ったのをまだ記憶しています。

雑賀さんが、その国際刑事裁判所の判事になられたときは(日本人として初めての快挙)、丸亀のご実家の近くに居を構えている人間としても、何となく誇らしい気分でした。

ただただ残念です。ご冥福をお祈り申し上げます。