新年のご挨拶

未(ヒツジ)年の新しい年を迎えました。謹んでお喜び申し上げますとともに、皆様のご祈願されたことが成就されますよう、心からご祈念申し上げます。また併せて、旧年中、皆様には何かとお世話になりましたこと、心から厚く御礼申し上げます。

羊と言えば、私には2つのものが頭に浮かびます。

1つは村上春樹。村上作品群は世の中の悪を論じようとしているともとれそうですが、その悪の比喩として羊がよく使われます。羊以外にも、リトルピープルとか、みみずとか、やみくろとか。そして、システムという言葉も最近使われました。

村上春樹自身は、恐らく世界的統一秩序を形成しようとする何か父権的力は根源的な悪であり、そこから離脱を試みなければならないもの、あるいは戦うべきもの、という意識があるようですが、内田樹はこのことに触れて興味深い事を仰っています。

曰く、父権的な統一秩序形成、正義を全社会的に実現しようとする運動、は必ず失敗する、と述べた上で、人間の手の届く範囲のローカルな秩序は成立可能だけど、ローカルな秩序を拡大するにあたっては、手の触れる範囲を算術的に加算する以上のことをしてはならないし、父権制イデオロギーに対する対抗軸として、ローカルな共生組織以上のものを望むべきではないと、という趣旨のことをブログ上で仰っています。

私自身、以前からも繰り返していますが、父権的ものも母性的なものも、マクロもミクロも、時間軸の中でどれも必要であるという結論なので、内田先生の結論には必ずしも賛同できませんが、それはともかく、この内田樹先生の論評は非常に興味深いものがある。日本の中長期戦略として何を目指すのかという問題を考えるにあたって、非常に大きな問題提起をして頂いていると思っています。

それは、地方創生や人口減少問題などとも絡めて、資本と社会の在り方やら、国家と地方の在り方、地方行政と住民との在り方など、今一度議論しなおさなければならない日本国家的な問題です。しっかりと議論して参りたいと思っています。

話を羊に戻しますと、もう1つは、古代ローマの話です。

一時は無敵を誇った古代ローマの軍隊ですが、城塞を責めるときには、攻城兵器を使いました。この設計には、あのピタゴラスも一枚噛んでいるのですが、ピタゴラスが絡む以前の時代の原始的典型的攻城兵器は、攻城槌(丸太棒を皆で担いで扉に当てる)。この攻城槌の先端には、青銅製の雄羊の頭の像がしばし取り付けられています。なぜかと言えば、雄羊の突破力がものすごいから(牛とか馬とか鷹じゃないところが印象深くありませんか?)。

今年はいよいよ突破力を発揮するとき。私自身も頭の先端に雄羊のマークを取り付けた気分で、再増税まで2年間余りという限られた時間でできるだけのことを実行して参ります。

今後ともご指導ご鞭撻を賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。