政治の道を目指して
1991年という年
湾岸戦争が起きた年です。大学で実験に追われる毎日を送っていたころでした。このことは私の中の何かを強烈に揺さぶり、爾来、外交や安全保障とは何だろう、国とは何だろうと真剣に考えるようになっていました。後に大臣秘書官として政治の世界に飛び込んだのも、自分の持っているこうした疑問に一つの答えが得られるかもしれない、との思いがあったからだと思います。日本は強くならなければなりません。
ふるさとの素敵な隣人
やっぱりふるさとが一番。そこに理屈はありません。政治を生き方として選んだら、地元から頂く知恵や勇気や気付きは、おそらくやってみたことのない人には一生分からないものだと思います。インテリ層は、どぶ板選挙と片づけるかもしれません。罵倒され馬鹿にされることも多いのが政治の世界。しかしこれも大きな意味で自分に気付きを与えてくれるものなのです。一票欲しさに行う活動のレベルとは遥かに違うものが見えてくる。肌感覚が分からなくなった政治に良い政治ができるとは思えません。だからこそ、地元は大切なものなのであって、尚一層、大切にしていきたいと思っています。
- 豊浜ちょうさ祭り
- 善通寺にて街頭演説
- 豊中町BBQ
- 仁尾龍祭り
- 多度津トマト農家と
- 子供会にて
- 丸亀盆踊りにて
- 丸亀の太鼓台を楽しむ
- 自宅近所の盆踊りにて
- 旧琴南町の集会にて
- スーツで焼き鳥
- ブロッコリー収穫
- 地元小学生と海開き
- 多度津の仲間達と
- 豊浜ちょうさ祭りで
- 近所の知人の居酒屋で
- 地元の夏
- 田んぼにて農家さんと
- 地元の祭りにて
- 地元の秋祭りを楽しむ
- 地元のペタンク大会にて
- 知人の養鶏場にて
- 鉄工所で話を伺う
- 地元消防団を激励
- 近所の秋祭りで
世界の眼から見た日本
常に世界の流れを見ていなければならない、そう思っています。日本として世界に何ができるのか、世界から見て日本の何が問題なのか、日本の国益はどのように守れるのか、日本国内だけに閉じこもっていては見えてこないものがあります。
- 日米国会議員会議
- イスラエル大使と
- 日米防衛相会談
- 硫黄島に慰霊に向かう
- ドミニカ共和国大使・大統領補佐官と
- 留学先の仲間と
- フランス・カンタン国民議会議員と
- 米下院ハスタート議長と
- クウェート大使館員と
- 台湾訪問
- 中国訪問
- 米国国務省幹部と
- マンスフィールド財団会長と
- シーファー在京米国大使と
- モンデール元在京大使と
- 台湾総統と
- エルサルバドル大使と
- 韓国外務委員長と
- カトラーUSTR代表補
- ケネディ米大使・ケネディ下院議員と
- 安倍総理の米上下両院議会演説
- カストロ米下院議員と
- マクダーモット米下院議員と
- ケネディ米国大使と
- 米シンクタンク研究員
- オーストラリア閣僚と
- イスラエル科技大臣と
- オテイビ・クェート大使と
- イスラエル内閣官房大臣と
- オーストラリア大使と
- 在京トルコ大使ご夫妻
- 英国大使・駐在武官と
- イスラエル法務大臣と
- UAE国防次官と
- ドゥテルテ比大統領と