図解:限定的集団的自衛権と憲法

集団的自衛権と憲法

ものすごく基本的なことで、え?そうなんですか?知らなかった!、と驚かれることがあるので、念のためもう一度書きたいと思います。

図を作りましたのでそれで説明したいと思います。

真ん中の円で示した⑤より内側が個別的自衛権。その⑤と①の間が一般的な集団的自衛権です。そしてそれは③の自国防衛と④の他国防衛に分けることができます。正確に言えば国際法上③も④も他国防衛ですが、③は自国防衛に資するような他国防衛という意味です。

現在議論中の限定的集団的自衛権は、③だけです。つまり、やられている他国を助けないと、自分の国が危機的状況に陥ることが明らかなときのみに、発動されるものです。

これは法律にも明記されています。だから自分と関係ない外国での戦争に参加することはあり得ない。

そして今後どんな内閣が表れてもこれ以上解釈の拡大は起きようがありません。

そもそも憲法が言っているのは、②であって、それは自分の国を守る必要最小限のことは認めます、ということです。あくまで自国防衛。

で、昭和40年代当時、図にある旧国際環境に対応するために何が必要最小限かが議論され、どう考えても③も④も不要だから、③+④はセットで否定されていた。いわゆる集団的自衛権は憲法上許されないとされていた解釈です。

ところが、時代が変わり新国際環境になったとき⑥が問題となってきた。これに対応するための必要最小限は何かを議論すれば、③も認めざるを得ない。そしてこれは②の範囲内なのです。

だから、今後どんな内閣が表れても、国際環境が②のラインを突き抜けたとしても、憲法解釈でそれ以上できるようにはならないのです。憲法の限界だからです。

もし⑥の領域が更に広がっても、②を突き抜ける解釈は論理がありませんので憲法改正を行わなければ絶対に対応できない。

ちなみに、③は個別的自衛権でも対応できると言う人がいます。確かにできる場合もあります。しかしそれは国際法違反の可能性が高い。当たり前です。他国から見たら集団的自衛権だからです。

さらに言えば、民主党政権下でも、総理の諮問機関は集団的自衛権は必要だと結論付けています。

解釈の変更は軽々にするものではありません。しかし全くできないという性質のものでもありません。過去に例が何度かある。自衛官が文民かそうでないかも一例です。自衛権の有無もそうです。その当時の一内閣がそれをやってのけた。安保以外で不作為も併せれば、もっとその例はあります。

立憲主義の否定というのは誤りです。なぜならば、上で説明したとおり、論理があるからです。論理があるから立法準備ができているわけです。明々白々に違憲なのを無理やり解釈変更し立法化しようとすれば立憲主義の否定にあたります。野党が星一徹のようにこうした論理を全否定するのは政局睨みだとしか思えません。

 

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