SNS時代の新たなリスクとして指摘されている「フィルターバブル」という言葉をご存じでしょうか。ネット広告やSNSなどのネット媒体は、利用者の検索履歴などの利用経歴から、その人に最適と思われる情報を優先して表示しています。
例えばメガネを買おうと思って「メガネ」と検索すると、全く他のページに行っても、メガネの広告が出続けるのはそのためです。広告は広告である旨の通知が必要になるので広告だと分かるのですが、その他の情報は見分けがつかない。
結果的に、自分の主義主張や趣味嗜好と同種の情報ばかりが表示され、他の動向や意見が全く耳に入らなくなり、結果的に意見が先鋭化し、社会が分断されたり、デマやフェイクに気付きにくくなる傾向にあることが指摘されています。かつては「サイバーカスケード」などとも言われていました。
実は私も同じような経験があります。私自身がハマったというのではなく、ハマっている人にかなりの頻度で遭遇します。ネットで配信している論評を信頼しきっていて、他の意見に対して全く聞く耳を持たない人です。
かつて地上波テレビが世論を形成していたころは、地上波の情報が正しいのかを確認するためにネットが使われたりしましたが、最近ではネットが世論を形成していますので、検索方法を工夫するなどしないと、同意見ばかりの「フィルターバブル」の中で泳いでいることに気付かない可能性があります。
民主主義の根幹に触れる問題です。例えばネットを開いたら、特定の「選挙」における特定の「候補者」の情報が表示されたとします。批判的な記事をクリックすると、以降は批判的記事が優先的に表示され、その利用者はあたかもその候補者に世の中全員が「批判的態度」であるのかと錯覚に陥ります。もちろん逆も真なりです。選挙も随分様相が変わってきました。こうした現象を十分に理解しながら、逆に活用するような選挙プランナーも現れています。
新たなリスクと言えるでしょう。ここ最近とりくんでいる諸外国からの攻撃的な「情報戦」の一環としての「偽情報」にどう対処するのかを検討して参りましたが、こうした「フィルターバブル」は制度的解決が極めて困難です。ネットのご利用にあたっては、こうしたリスクを十分に把握しておく必要があります。