議会で議員の議論を聞いていると、与野党を問わず面白いことを発見することがあります。さすがそれぞれいろんな苦労をされ、いろんな人生訓があったり、いろんな勉強されているんだなと思わされます。
先般も中山泰秀先生の国会論議を拝聴していたところ、「軍事なき外交は楽器なき音楽だと言われる」と仰った。委員会が終わり誰の言葉か伺ったところ、プロイセンのフリードリッヒ大王だとのこと。
フリードリッヒ大王と言えば、昔ハプスブルク家に凝っていたときに出てきた人だなぁと思いながらいろいろ調べてみると、更に面白い発見をたくさんすることになった。フリードリッヒ大王はハプスブルク家のマリア・テレジアの宿敵だった人なのですが、あるべき君主像が意外と面白い。
フリードリッヒ大王の時代にさかのぼること2世紀、メディチ家の時代に活躍したマキャベリという政治思想家がいましたが、現代でもマキャベリが語り継がれるのは、その著書「君主論」があるためです。いわゆるマキャベリズムで、それは何の事かと言えば、リアリズムを追求せよということ。むしろプラグマティズムと言ったほうが良いかもしれませんが、とにかく目的は手段を正当化する、という考え方。塩野七生さんもよく引用されています。
そしてフリードリッヒ大王は、そのマキャベリズムを真っ向から否定するアンチ・マキャベリズムの本を出版しています。何を書いているかといえば、マキャベリは政治を堕落させ、健全な道徳を破壊しようとしたと批判。策に対しては徳、情念に対しては理性の優越とし、正義こそ君主の主たる目標であり、人民の福祉こそ他のすべての利害に優先されるべきで、君主とは人民の主人であるどころか、逆にその第一の従僕に過ぎない、という主張です(Wikipedia)。
なぜそういう美徳の精神をもった君主がプロイセンに現れたのかと思っていたところ、私は母親にルーツがあるのではないかと思っています。母親は芸術の愛好家で、フリードリッヒ大王もその影響を受け、自らフルートを上手に奏でる腕をもっていたそうな。
政治に浸ると、時には心が乾き、無性に文化的な匂いに哀愁の想いを抱くことがあります。そんなときに、心を打つ音楽に出くわすと、水を求めるスポンジの如く、心が満たされる想いがしたりします。
藤原雅彦先生は、情緒が大切だと説き一時は一世を風靡しましたが、私も情緒というものが人間にとってきわめて重要な要素であると思っています。だから音楽を解する政治の方が解さない政治よりも勝る、とまでは言いませんが、望ましいのではないかと思っています。
実はフリードリッヒ大王も、こうした芸術を解することが幸いし、命拾いすることになります。ここで詳しくは述べませんが、ざっくり言えば、7年戦争で窮地に陥っていた際に、敵国の同盟であったロシアの女帝が急死し、その後継者であるピョートル3世がフリードリッヒ大王のこうした人格の崇拝者であったために、奇跡的にロシアと講和が結ばれ、和議が結ばれたというもの。
音楽が国家を救ったとも言えます。まぁ、あくまで善然庵閑話ですが・・・。
ちなみに善然庵閑話(ぜんぜんあかんわ)というのは、どうでもよいことを書き綴っておこうと思い立ったときにつけているタイトルで、もともとは遠藤周作の狐狸庵閑話(こりゃあかんわ)をもじったものです。