もう10年以上も前、ちょうど同時多発テロが起きた2001年、私は飛行機に乗りサンフランシスコを目指していました。本来、2001年の9月に渡米する予定でしたが、911の直後であったので渡米自粛勧告。その直後の、まだ日本では連日のように同時多発テロの分析をする番組が特番で組まれていたときでしたが、勝手に判断して12月に渡米。現地についてみると、何事もない日常でした。
そして未だに覚えているのが、到着初日に近所にあったSafewayというスーパーに買い物に行ったときのこと。レジのお姉さん、”That’s it”と聞かれたこと。直訳すると、「あれはそれ?」。当方も、「あれはそれってなにがどれ?」(What are that and it?)。レジのお姉さんは、「なに?」(What is that?)。私「私が聞きたい」「I am asking what is that?)。結局なんだかわからないまま、その後、”Paper or plastic?”(紙かプラスチックか?)と聞かれ、混乱が混乱を呼び、とりあえず、”paper”(紙)と答え、無事買い物終了。
That’s it?とは、「以上ですか」、という意味だと分かったのは暫くたってから。Paper or plasticは買い物袋の種類だったのは、直後にすぐわかりました。しかし、なぜ中学校の英語の授業でスーパーでの会話を教えないのかと中学校の先生を恨んだところでしょうがありません。
まだまだ続きます。1週間後、アパートも決まり、入居した直後に同居人に遭遇。その方がアメリカ文学の第一人者で、奥さんが暫くしたら入居してくることは、大家さんから聞かされていた。
簡単な挨拶をと思い、”your wife has arrived?”(奥さんもう着きました?)と私。すると、その御仁、少し妙な表情を浮かべつつ軽く笑顔で”She’s fined.”(捕まりました)。え?捕まった?そう思い、私は、”When?”(いつですか?)。するとその御仁、外国人特有の呆れたときにする、両掌を天に向け、去って行ってしまった。そこで既に混乱。なんで怒ったのかわからない。
部屋に帰って考えた挙句に暫くたって気づいたのは、要は発音が悪かった。つまり、恐らく、私は、「奥さん着きました?」と言ったつもりが、御仁にとっては、「奥さんは生きていますか?」(Your wife is alive?)に聞こえ、「元気ですよ」と御仁は半ば冗談返しで言ったつもりが、私には「捕まりました」(She is fined.)に聞こえ、私から「え?いつですか?」と言ったとしたら、恐らくそれはいつ亡くなるのかと聞こえたかもしれないわけで、ほとんど赤面の漫才。
それから発音の練習を一生懸命やったのは当然ですが、いずれにせよ、後段の部分は私の勉強不足だとしても、前段のthat’s itなどは、なぜ日本の中学校でこうした簡単な日常を生き延びれる実践英語を教えないのでしょうかね。
いずれにせよ、半年もたてば、何とか喋れるようになるわけですが、英語を多少操れるようになっても、分かり合えたと思える場面って結構すくないことは、やがて気づく。そんな時に、ものすごく哀しい思いをすることになる。
でも面白いことに、そのうち哀しみの反動なのか、分からなくてもいいやという自暴自棄さが発現し、英語で冗談をいう自分がいた。私が当時から使っていた、スピーチでの冒頭の受け狙いは、”My name is Ohno. It sounds like Oh! No!, but I would say Oh! Yes! to you, today.”(私の名前はオーノと言いますが、オーノーと聞こえると思う。だけど、皆さんにはオーイエスと言いたい)。結構受ける。怒られるかもしれないですが、そういうことを言ったほうが意外と分かり合えるような気がする。
しかし、驚愕の事実を知るのはその2年後に親父の秘書として政治に飛び込んだとき。親父も全く同じ冗談を言っていた。恐ろしいものです。
実は私は2歳から6歳まで、親父の仕事の都合で、スイスに住んでました。全く記憶はありません。当時は私もフランス語をしゃべっていたそうで、姉貴ともフランス語で喧嘩していたそうな。今ではさっぱり忘れてしまいましたが、そんな理由で大学での第二外国語はフランス語を選択。落第ぎりぎりで単位をとりました。ただ、発音は多少はまともに聞こえるそうで、今でもフランス人がやってくると片言のフランス語をしゃべってみる。すると何が起こるかと言えば、フランス語がしゃべれる日本人に会って嬉しいのか、めちゃくちゃ早口のフランス語でしゃべりかけられる。遮るのも申し訳ないので、暫く黙ってOuiなどと言ってごまかしたあとに、最後にごめんなさい、フランス語は分かりません、というと、大多数のフランス人は大笑いする。理由は定かじゃない。でもなんだか通じ合えたような気になる。
結局語学なんてものは滅茶苦茶重要なことではないような気がしています。一番重要なのは、お互いに分かろうとしていることなのかと思います。最近、何人かの在京大使館の方々と接していて、ふと思ったことです。