【善然庵閑話】永遠のゼロ

百田直樹さんの永遠のゼロを今頃になってですが読みました。最近は多忙のせいにして本を殆ど読めていないのですが、親しい知人に奨められてのことです。多くの場面で涙しました。

随分前にも書きましたが、私は、いつのころからか特攻隊員の話を聞いたりドキュメンタリー番組を見ると自然と感極まり涙がでるようになっていました。東北大震災の直後に友人が私に語ってくれた、国家の危機に際して懸命に公に身を奉じる人たちの姿に涙が止まらなくなるという言葉を未だに忘れられません。このことと同じだと今では思っています。

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決して戦争賛美したり美化したり正当化したりするものではありません。恋人や家族や知人のために、ある種強制的に行かされたにせよ凛として身を奉じる姿は、どこの国でも涙を誘うものではないでしょうか。アメリカのハリウッド映画にも、例えばインディペンデンスデイでも、アルマゲドンでも、同様の描かれ方をされています。決して日本人は洗脳された悪魔ではなかったのです。まだ10代の普通のあどけない少年達だったのです。

何年か前、クリントイーストウッド監督の硫黄島からの手紙がヒットしました。なぜアメリカでもその映画がヒットしたのか、その感想を聞かれたアーミテージ元国務長官が、それは日本人もアメリカ人同様に、尊敬できる上官がいて家族がいて恋人がいて、その人たちを思って死んでいったんだと分かったからじゃないか、と明言した現場に私は居合わせ、感慨無量になったことを忘れられません。

そして、この永遠のゼロを読んで思ったこと。それは如何に日本帝国軍の官僚組織が機能していなかったかということ。上官が、現場の隊員の生死より自らの立場や出世を優先させたこと。組織と言うものは、時には恐ろしいものであり、ドライなものです。しかし、上に立つもの、結果に責任をとらなければなりません。そして責任をとれるよう、部下には責任をもって仕事をしてもらわなければなりません。

政治の役割は、究極的に言えば責任をとることだと言えます。随分前にも書きましたが、塩野七生さんの言葉を借りれば、自分の魂を悪魔に売ってでも国民を天国に送り届けるだけの気概を持たなければなりません。

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公務員制度改革や秘密保全法の審議に際しての私の哲学です。