憲法制定65年に際して(一日遅れですが)

 
憲法制定から65年目を迎えました。と昨日書こうかと思いながら寝てしまいましたので、本日触れてみたいと思います。

大震災が発生した現時点で改めて憲法を考えると、国家の危機に際する日本の政体が、極めて無力であると思わざるを得ません。

一つ目は、一言で言えば、国家の危機を想定した憲法条項を新設することを検討しなければならない、ということです。主要国には、こうした条項が存在します。もちろん、危機状態に陥った際の、当局の必要以上な超法規的措置によって権利が過剰に侵害されることを防止する目的もあると聞きます。しかし、危機と認定された場合には、必要な措置はリーダが講じるべきであり、それには憲法上の根拠が必要になると思います。

古代ローマ時代、国家の危機に際して種々のアイディアをローマ人は出しています。共和制時代、破竹の勢いで版図拡大に成功したローマは、共和制の限界を感じ始める。

共和制では、2人の共同執政官(2人体制も斬新・互いに独走しないよう牽制しあう)が陣頭指揮をとり(総理大臣みたいなもの)、執政官は貴族集団である元老院が推薦するとともに市民の選挙で選ばれ、そして貴族が暴走しないように、市民から護民官という全ての政策に拒否権をもつ存在がありました。意外かもしれませんが、極めて日本的な合議制、和を以って尊しとなす的な政体でした。しかし、国家が危機に陥った際には、独裁官という任期半年の官職を用意し、独裁官の決定は、護民官の拒否権や元老院の決議よりも優先するという政体でした。

もちろん今では信じられないような政体ですが、アイディアではあります。

そして憲法のからみで言えば、二つ目は、小選挙区と政党政治の問題と、二院制の問題を指摘しておきたいと思います。

小選挙区制度は、政党による政治を強化するべく導入されたもので、現在、確かに二大政党になっています。しかし、内情は、もちろん政策論議も活発ですが、結局つきつめていけば、政局論争ばかり。これではどちらかの政党が圧倒的多数を長年続けなければ、政治の安定なんて夢幻で終わります。例えば、選挙毎に、自民になったり民主になったりすれば、本来長期スパンで考えなければならない社会保障制度などが、選挙毎に変る。これほど壮大な無駄遣いはありません。

なぜこうなるのか。基本的には、ねじれ国会になったときに、優先権が定められていないことです。野党はがんばれば、国会を止める事ができる。そうなれば、いかなる手段を駆使してでも、空転させようとする。つまり、良識の府が、政争の府になってしまう。

であれば、憲法上、そのような虚しい状態にならないよう、何らかしか規定すべきではないか。憲法でなくとも、少なくとも再可決要件を2/3から1/2にすべきであると考えます。

ちょっと長かったですが・・・すいません。

ちなみに、憲法については、ほかに多くのことを感じます。それはまた後日改めて。

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