フェルメールの代表的作品に真珠の耳飾の少女というのがあります。皆様一度はご覧になったであろう絵画だと思います。漆黒の背景にブルーのターバン、黄土色の衣装をまとった少女が、どこか物憂げにこちらを振り向きざまに見ている構図の絵画です。その少女が、あり得ない程輝いている真珠の耳飾をしている。その絵に魅了される方は絶対に多いのではないでしょうか。
この物憂げな表情は、過去にこの場で書いた、ベルギーを背景にした童話フランダースの犬に通じるものがあるような気がしています。
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今、日本は閉塞感に覆われています。戦後直後の日本に、貧しいながら活気があったのは、結局自分を信じて頑張る先達・先輩方がいたからに他なりません。その時代より遥かに豊かになったはずなのに、なぜ人は事がうまくいかない事を人のせいにしてしまうのでしょうか。それは、人が自分を信じていないからではないでしょうか。自分を信じていなければ、字義通り、自信は生まれません。自信がなければ、がんばろうとは思わないはずです。
がんばろうと思わない人ばかりになった日本が、発展するわけもなければ、世界から見て輝かしい日本になれるはずもありません。であるならば、人が自分を信じれるようにするには、政治が、がんばったら報われるんだ、努力はいつかお天道様が見てくれていつかは報われる、そう思える社会にしていかなければなりません。そのためにも政治は襟を正さなければならないと思っています。
フランダースの犬の主人公、ネロ少年は、貧しく逆境に耐えながら、それでも人のせいには一切しなかった人物像です。そして、フェルメールの少女の眼差しにも、物憂げさが何に由来するのかは諸説あるとしても、それを人のせいにしようとするような眼差しではありません。
悪いことが起きたら人のせい、閉塞感だから政治やマスコミや官僚のせい、と思うよりは、それをばねにしてがんばろうという社会を築いていきたい。だからこそ、政治は逆に襟を正していかなければならない。政治が正常に機能していないのに、人のせいにするなとは絶対に言えません。みんながお互いにがんばろうや、という社会を築いていきたいと思っています。
本日、石破幹事長はじめ党の幹部の皆様にご挨拶のため、日帰りで上京しました。その機中でであった方の会話や、機中で読んだ機内冊子を読んでいて、思ったことをとりとめもなく書き綴りました。