善然庵閑話:村上春樹とフランツ・リストと私の巡礼の年

久しぶりの善然庵閑話シリーズです。

昨年春のこと。風邪をこじらせた挙句、副鼻腔炎になってしまい、薬を3か月程飲み続けた結果、頬骨の内側にある副鼻腔は綺麗になったのですが、蝶形骨洞という頭のど真ん中にある副鼻腔には膿がつまったまま。で、手術が必要ということになったのが去年の6月。しかし人生初の選挙が差し迫ってきて結局手術はキャンセル。

先日改めて検査してみたところ、なんと治ってました!あまりの嬉しさで飛び上がって頭の骨を折る所でした。

ところで、病院での待合の際に少しパラパラとめくったのが村上春樹の新刊、「色彩を持たない多崎つくると彼の巡礼の年」。このタイトル、フランツ・リスト(ショパンとよく比較されるハンガリーの作曲家で、ピアノの魔術師とも呼ばれた人物です)を連想させるタイトルだなぁ、と思っていましたら、やはり関係大有りらしい。まだ読めていませんが、この巡礼の年というリストの作品は、作家であれば紀行エッセーみたいなもので、各地を巡った際の印象を音楽にしている作品群です。

リストは私の二番目に好きな作曲家です。愛の夢第三番や、ラ・カンパネラなど、心に襞に畳み掛けてくるようなぐぐっとくる曲です。音と音の調和と不調和が、脳神経の普段は使われない部分を共振させるような感覚です。弾く人によっても全然違う曲になってしまいますが、私はフジコ・ヘミングの弾くリストが一番好きです。

で、村上春樹の新刊に登場するのは、Le mal du pays(郷愁)という曲。残念ながら知らない曲なのですが、もの寂しいけどセンチメントではないという村上自身の表現から想像すると、落ち着いた曲なのでしょう。しかし、曲の説明を見て、深い感慨と共に息苦しさにも似た気恥ずかしさを感じました

この曲は、リストが、愛する人と共にハンガリーを離れてスイスのレマン湖のほとりに移り住んだ際に、オーベルマンという小説にヒントを得て作曲したものなのだとか。そしてそのオーベルマンというのは、自分の唯一の死に場所こそアルプスなのだという望郷の念を表現したアルプス出身パリ在住の主人公の物語だとか。

つまり、オーベルマンを引用したリストも、オーベルマンを引用したリストを引用した村上春樹も、オーベルマンを引用したリストを引用した村上春樹を引用した私も、恐らく戦友というのはこういうものなのだろうなという親しみを引用先に感じるのであろうし、郷愁という名の周波数で、音楽や文字を通じて共振しているのを感じずにはいられません。そして、郷愁という観念自体が、いかにものすごいエネルギーをもっているものなのだろうと、ただただ感嘆するしかありません。

ふるさとを想う心は、いつの時代、どこの場所、どんな人種でも、普遍のものであることを、改めて感じた一日でした。蓄膿症に感謝です。