18世紀くらいにオイラーという偉大なる数学者がいました。実用上有益な数学です。数学をかじった人なら必ず知っている人です。この人がいなければおそらく、アポロやはやぶさはおろか、テレビも生まれていないし、ビルの耐震設計もできなかったのではないかと思っています。
人類史上最も多くの数学論文を書いた人。
数学のやりすぎで両目を失ってもなお、雑念にとらわれる必要がなくなった、と、更に数学に没頭してしまう人。
このブログで過去に触れたことのあるロシアの女帝エカテリーナ2世の治世にロシアに生きた数学者で、先日のマキャベリ・アンチマキャベリで触れたフリードリッヒ2世など、世界を魅了した為政者の支援を受けながら、ひたすら数学に没頭した人です。
果たして当時の技術水準で、オイラー数学のこれ程までの内面の実用上の素晴らしさについて気づいていた人がいたかどうかは甚だ疑問ですし、フリードリッヒ大王が今の技術水準を予想したとは思えません。しかしそれでもこうした為政者が、いくら当時天才数学者の名前を縦にしていたとしても、何に役に立つかわからないオイラーに莫大な研究資金を供出し続けたことは無視できない史実です。
ここで触れておかなければならないのは、今、日本で研究開発法人制度が議論されていることは申し上げましたが、効率性を重視する独立法人制度のもとに置かれては、有効に機能しないのは目に見えています。フリードリッヒ大王とオイラーの間に、効率主義者が官吏としてい間に入っていたら、おそらく微分積分もここまで進歩はしていません。
さて、今回は、善然庵閑話シリーズなので余談がメインです。
何を言いたかったのかと言うと、数学の美しさと音楽の美しさの共通点です。実はこのことは私の大学の親友(白血病で残念ながら他界してしまいましたが)とよく議論していました。で、先日、まさにそんなタイトルの本を見つけてしまいました(人生を変える数学そして音楽)。
著者は中島さち子さんという高校生のときに世界の数学オリンピックで金賞をとった東大理学部数学科卒の女の子で、現在30歳台。堅物かと思ったら文体も気さくな感じの普通の女の子に見えますし、何と言っても、社会人になって何をやっているかというと、ジャズピアニスト!成人してからジャズに取り憑かれたとか。
曰く、例えばオイラーの公式に、Σ( 1 / nˆ2 ) = πˆ2/6というのがあると。nは自然数でΣは級数、πは円周率ですが、なんで自然数の級数からπという円に関わる数字がでてくるのか。不思議じゃないですか?これはとても美しいと感じてしまいます、と。もちろん私がダイレクトにこんな疑問を呈すると変人扱いされて政治生命が絶たれる危険性がありますが、実は同じような感覚をとてもとても多くもっています(やばい?)。
この公式は世界で最も美しい公式とも呼ばれているものですが、素数を論じる空間を想像すると想像できる公式です。難しく聞こえるかもしれませんが、素数というのは普通の縦横軸で表現できて、公式が描く図形をこの空間上で想像するだけなんです。それが美しい。美しいと感じれるかどうかは感性の問題かもしれません。
そしてこうしたオイラーの美しさは、後に振動工学などに非常に役に立つことになった。なぜかといえば、振動は、円周をぐるぐる回るのに似たりだからです。で、振動というのは、音楽の音に直結する。
だから音楽も同じ美しさをもっている。大学の友人と語っていたのはそのことで、例えば音の周波数と音階を数学表現すると面白いことに気づく。ドの音に最も親密なド以外の音は、3倍周波数のソであり、次に5倍周波数のミであり、次に7倍周波数のシ♭。合わせて弾くとメジャーコードであり、セブンスコードになる。和音には数学的美しさもあったということ。一方で悲しく聴こえるマイナーコードと数学の関係はよく分からないという結論になった。分からないから美しいとという結論にもなった。
前回の、ぜんぜんあかんわ、でも書きましたが、やはり感性は大切に磨いていきたいと思っています。