自民党機関誌掲載原稿「座右の銘」

先憂後楽自民党機関誌の9月30日号の「座右の銘」のコーナーに投稿した原稿です。ご笑読頂ければ幸いです。

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 「先憂後楽」。天下の憂いに先んじて憂え、天下の楽しみに後れて楽しむべし。十一世紀前後の宋の時代に生きた范仲淹(はんちゅうえん)が政争に明け暮れる北宋にあって、為政者の心得として残した言葉です。

 物事には必ず核となる本質が存在し、その本質には必ず皮となる見た目が存在します。皮の見え方は、光の当たり方によっても違うし、見る人によっても変わる。敢えて見たくないとか、敢えて違った風に見たいと思う人もいます。作家の塩野七生氏は、古代ローマのカエサルが残したとされる、「人間は見たいものしか見ない」、という言葉を現代に伝えています。

?現実を見たくないと思えば見えないよう皮を被せ、違うように見たいと思えば見たいと思うレッテルを貼る。そういう政治から本質を突いた良い政治が生まれる筈はありません。だからこそ、本質を見誤らないようにしなければなりません。

 自衛権発動の新三要件が発表され、時代に合致した安全保障法制が議論されようとしています。一方で、徴兵制、海外派兵、再び戦争する国、などのレッテル貼り運動が盛んです。これから議論する安保法制の本質は、今の国際環境に合わせて安保法制を変えることが平和と抑止力を高める、の一点に尽きます。その本質が見えなければ、何を変えて何を守るかさえも見えてきません。

 かつて田岡嶺雲は徳富蘇峰の変節を批判して「説を変ずるはよし、節を変ずるなかれ」という言葉を放っていますが、時代が変わって政策を変えるのは当然です。目的である平和と戦争放棄という節は絶対変えてはなりませんが、手段である説は変ずるべきです。先憂後楽で憂い守るべきは、自説でも組織でもなく、国民という生身の人間なのだから。