善然庵閑話:初めてのお茶会でのこと

  政治的主張ではなく、書くほどの明確な目的も無く、それでいながら漠然と残してみたいと思うもの。善然庵閑話(ぜんぜんあかんわ)と題してつづることにしました。遠藤周作の真似事です。少しだけ政治から離れたエッセーという意味です。

さて、第一回目。昨年の話ですが、初めてのお茶会でのこと。

お茶など過去に興味も何にもありませんでしたが、昨年のこと、急に行こうと思い立った第一の理由は、私の慕っている方が、「大野君、お茶はそもそも男が楽しんだもんだよ。復権せねばならん。」と笑いながらおっしゃったこと。笑いながらがミソです。

扇子一本母親から奪い取り、その扇子と自分のセンスだけでお招き頂いた初めてのお茶会に参加したときのこと。大寄せだから大丈夫よ、と母の根拠の無い励ましに、何も考えずに会場へ向う私。母から即席でポイントだけ教えてもらったが、無謀ここに極まるとはこのことか。

案の定やってしまいました。その母の教え第一条(3番目以内には絶対に座るな)を少し破り次客に(断りきれなかった)。しかし、ゲストの役割というのを理解しておらず、お正客が喋り続けるのをみて、「ぺらぺらよく喋る人だな・・・」、「でも結構いろいろ喋ってもいいんだ・・・」、「意外と冗談とか言っても良いんだ・・・」、などと考えているうちに、一瞬会話が途切れた。

こういうとき、会話が切れるとどうも気を遣いすぎて何かしたくなる性格の私。口を開く。「え〜、お外の桜が綺麗ですね。桜の花びらをお茶に煎じて飲むと動悸に効くのをご存知ですか?え〜、なんたって、同期の桜と言いますから・・・はっはっは」。完全に私はオヤジになっていました。その後のことは想像にお任せします。

帰って母親に電話で報告すると大騒ぎ。次客はどうやら喋ってはいけないポジションだということに気づく。時既に遅し。しかし、それ以降はホストの話も結構楽しいですし、勉強になる。例えば先日も掛け軸で実に素敵なものを拝見しました。教えてくれなければ分かりませんから。なので、単純に楽しめるなと思っています。

桜の季節がもう少しできます。今年もお誘い頂くだろうか今から楽しみです。

無知というのは強くなれるものです。