世界の特許事情と科学技術政策

世界の特許事務を司るWIPOという組織があります。そこが毎年、特許出願件数を発表していますが、その発表を受けて、今年はいよいよ中国に抜かれる年だという報道が為されています。

http://www.wipo.int/pressroom/en/articles/2011/article_0004.html

え?中国?もともと研究職であった私も特許を何本か出願したことがありますが、そのたかだか6〜7年前においても、中国の特許などというのは無きに等しい、とるに足らない時代でした。当時日本や米国に較べると、中国の特許は1〜2桁少なかったのを記憶しています。

ただ、私がその時代によく申し上げていたのは、中国をなめてはいけない、ということでした。出願国別に見れば確かに少ないのですが、出願人国籍別で見れば、中国という顔が上位に現れる。

中国の優秀な人材は米国の一流大学に留学し、Ph.D(博士)をとった後、高給を約束されて一流企業に就職し、そこで研究活動を通じて特許を出す。中国人が特許を出してもアメリカの発明になりますから、あまり騒がれない。ただ、データをよくよく分析すると、アメリカの一流企業の特許のうち、中国人が出願しているケースが非常に多くありました。

さもありなん。私がアメリカのとある大学の研究所に在籍していたとき、韓国や中国からの留学生の大半は30歳前後で年棒10万ドルを約束されて一流企業に勤める。BMWを乗り回し、TシャツとGパンでカリフォルニアの青い空の下、好きな研究をやって給料を貰う。特許ノルマを課せられなくても、特許は出るなと思ったことがあります。そして、彼らにいつ国に帰るのかと質問すると、決まって現地の生活環境がよくなったら、と言っていたのを記憶しています。

つまり、中国による特許出願件数の向上はなるべくしてなった。欧米の技術を学び、欧米の企業でその企業のために働き、そして本国に帰って花を咲かせる。何も悪いことではない。日本だってしていることです。

ここで問題にしたいのは、中国脅威を批判するのではなく、それを糧に日本はがんばらなければならない、ということです。

最近、中国の高速鉄道用車両に関する多数の特許について、日本の川重が技術供与したのにひどいじゃないか、という報道が多くあります。私は非常に違和感があります。技術の世界はそれほど単純なものではありません。ジタバタするな、とマスコミさんに言いたい。おそらく川崎重工さんも同じ意見だと思います。

1.近年の中国や韓国の技術力は5年前とは全く異なる。日本や欧米の真似だと馬鹿には全くできない状況になりつつある。

2.アッセンブル製品では韓国中国に押されているが、未だ基礎技術では日米欧が抑えているので、中国韓国はまだまだと言っていたら、5年後には日本はない。

3.ルックコリア、ルックチャイナなどと言われる時代が日本に到来することになるのかもしれない。そのくらいの覚悟で科学技術政策を強力に推し進めなければならない。

とうことで科学技術政策ここから本題。

民主・自民の話じゃなくて、国の科学技術政策の問題は以下にあると思っています。

1.科学技術予算の使われ方。

科学技術予算に極度の損益評価を求めてはいけません。そもそも設けられるほどに直ぐに結果がでるならば、民間企業が開発を進めています。

そして、そのほとんどは、技術というよりは、人材発掘と人材育成に充当されるということを認識すべきです。カネをつっこんだからといって、鉄腕アトムがポッとできる、というわけではなく、御茶ノ水博士がたくさん育つ、と考えるべきです。ですから、評価は、そういう優秀な人間が何人育つかを評価対象に入れるべきであると考えます。

2.科学技術政策の指揮命令系統の確立

表面的には、首相が議長を務める、総合科学技術会議が、日本の科学技術政策の方向を決める組織です。ところがこれがイマイチ機能しない。

この会議の構成員は、学識経験者や産業界から募っています。法律的には、小泉政権のときに有名になった、経済財政諮問会議と同じで、内閣府設置法を根拠としています。内容のよしあしは別として、これらの組織は、法律上、小泉・竹中時代のような強い権能を発揮することが可能な組織です。鳩山政権発足で、経済財政諮問会議はその機能を停止させられましたが、いずれにせよ、総合科学技術会議はそうした強力なリーダシップを、省庁横断で実行できる組織です。

つまり、現行法制を変更せずとも政治がリーダシップを簡単に発揮できる体系がすでにあるわけで、それを有効に活用しなければなりません。

以上、長々と書きましたが、福島の原発問題で、日本のエネルギ政策は、否が応でも変更を余儀なくされるのは間違いありません。政治的に(選挙的に)ふらふらとするのではなく、現時点で現実的な方向を示していくことが必要です。まさに、政治は、情熱と理性と愛情です。