(予算委員会分科会でのフェイクニュース対策の議論)
かつて寺田寅彦は、災害は忘れたころにやってくる、と言ったと言われていますが、別のいいことも言っています。何かのエッセー集に収録された文章で、正確には思い出せませんが、「災害は恐れすぎてはいけないが、恐れなさすぎてもいけない」という趣旨のもの。何事も、適切に恐れて適切に対処することが重要だとの教えです。
デマ・偽情報・フェイクニュースが蔓延しています。これも適切に恐れて対処することが肝要です。
デマでトイレットペーパがないことが話題になりました。フェイクニュース対策の難しさを感じた報道でした。嘘だったと報道するために嘘じゃない本当の映像を放送する羽目になるという現実。スーパーの棚から丸ごとトイレットペーパがなくなっている様子を、これはデマで発生したと報道されても、それを見た人は、デマだろうがなんだろうが、トイレットペーパがない現実を目の当たりにすることになります。結局、余計になくなる。
他にコロナ問題では、コロナウイルスは熱に弱く27度くらいで死滅するからお湯を飲めばいい、というデマがネット上で蔓延していたそうです。体温って何度でしたっけと普通は思うと思うのですが、不思議なことに、政府やメディアが取り上げない情報ほど、あっという間に広がる。特に、普段から体制に批判的な層ほど、体制が発表する情報を信じないので、デマに流される傾向があるそうです。また、専門家と言われるものにも弱い。専門家って何の、とはみんな思わないもので、コロナに2回感染したら死ぬ、というデマがあったそうですが、これも現役医師という「専門家」の投稿動画がきっかけで拡散したそうです。
何もコロナ関係だけではありません。その内容は、愉快犯的なものからビジネス目的まで、内容も陰謀論的なものから政治扇動的なものまで、様々なフェイクニュースがあります。例えば、最近、立憲民主党がTwitterで「内閣支持率続落26%」をシェアしたところ、読者層から誤りを指摘され(昔のデータだった)、削除。恐らく同党の担当が反射的に喜び勇んでリツイートしたのでしょう。目くじら立てる必要は全くないのですが、意外とこういうつまらないミスが本当らしく伝搬してしまうものなのだと思います。
http://www.nhk.or.jp/gendai/digest/fakenews.html
なお、独立民間団体で、日本で唯一のファイクトチェック機関(偽情報のチェックを行っている団体)は、コロナ関係の偽情報についても積極的にファクトチェックを実施しています。ご参考ください。
フェイクニュース対策は、表現の自由、報道の自由を全力で守りながら、偽情報は偽だと分かってもらうことが重要です。そのためには、中長期的にはリテラシー教育が非常に重要です。情報の受け手としての情報リテラシー向上の第一歩は、違和感を持ったら鵜呑みにしない、見出しの過激さに注意する、記事の内容を吟味する、他メディアと比較する、当該メディアの一般評価を確認する、など、当たり前と言えば当たり前のことです。
ただ、そうしたリテラシー教育に即効性はない。ので、既存のクオリティーメディアに、偽情報が偽と分かる質の高い報道を行ってもらうことが重要です。つまりメディアは極めて重要なのです。ところが、新聞協会の調査によると、最近ではクオリティーメディアの質が劣化している(偏っている)と思う国民が増加しています。
念のためですが、報道に政治が口を挟もうとしているのではなくて、主要メディアが質を維持しないとメディアも信頼を失い、その結果、偽情報が蔓延し、偽情報で民主主義自体が棄損するほど苦しんでいる他国のようになりますよ、と言いたいのです。
例えば先日、政府とメディアのやり取りで違和感を覚えることがありました。コロナウイルス感染症を巡って、特定の報道番組が報じた内容について、政府がツイッターで直接反論したことが話題になった件です。正直、国民不在になってはいなかったのか、国民にとって未知の感染症に対する不安が先行しているなか、国民から見たら単にメディアと政府の喧嘩にしか見えなくないですか、と思っています。
しかし、それはそれとして、この場で指摘しておきたいのは、報道というのは何をどう報道してもいいのですが、その裏側で報道に違和感を持っている国民がいることを敏感に感じ取れない構造的問題があることを報道側が認識していないことにこそ問題があるのではないか。典型例は専門家と称するコメンテータ。社としての責任や義務が不在で、番組として斬新で分かりやすい意見を言ってくれる人を出す。出る人も分かっているので目立つことを言う。結果、どういう角度から社に批判があっても、これは社の意見ではなくコメンテータの発言ですと逃れられる。
とある地元の方で、俺は自民党が嫌いだ、と言って応援してくれている方が、最近の報道姿勢について、「昔はなるほどぉ〜と思う論評が多かったけど、最近では批判したいのね〜としか思えなくなった」とおっしゃっていたことが頭から離れません。
フェイクニュースに対して強靭な国家を作るにはメディアに対する国民の信頼は欠かせません。