安倍晋三先生が非業の死を遂げてから今日で丁度2年となりました。日本にとって、あるいはもしかすると世界にとって、巨大な損失でした。全く身勝手な理由で犯行に及んだ件の男は、自分が犯した犯罪の為す意味を微塵も分かっていなかったのだろうと考えると、言葉に言い尽くせぬほどの悔しさや虚しさや加えて未だに怒りやを感じます。そして感じることが、かえって安倍晋三の人間としての偉大さと存在意義を際立たせ、余計に複雑な感情になっているように思います。
未だに当時の多くの関係者が安倍晋三先生を偲んで文章をお書きになっていますが、恐らく偲ぶというよりも、複雑すぎて表現しようもない感情を、文章で吐き出して自分を説得し自分で納得したい、あるいはせざるを得ないのではないか、とさえ思うことがありますが、この課題は私の場合は到底困難に思います。
特段近い存在でもなかった私を何度も気さくに迎え入れてくれたときの、あの雑談は、未来永劫私の記憶に残るものですし、その巨大な刺激は稲妻となって未だに私の心に流れております。必ずその稲妻を日本の為の原動力として使わせていただきたいと思っています。改めて安倍晋三先生のご冥福を心中よりお祈りいたします。