【善然庵閑話】正義の限界、善の限界

久しぶりの善然庵閑話シリーズですが、今回は初めて善然庵閑話の名前のルーツになっている遠藤周作について触れたいと思います。というのも、何年か前に月刊誌の正論を眺めていたところ、同氏が昭和51年に書き残したエッセーが紹介されていたのが目が留まり、読みすすむにつれて思わず膝を打つ思いがしました。

結論から書くと、「限界の中でこそ善や正義が成立するのだということを、我々日本人はあの戦争のお陰でたっぷり知った。敗戦による最も大きな教訓は民主主義ではなく、このことだったとさえ私は考えている。」という一文を読んで、私は今の世相に照らして無常の悲しさを禁じえませんでした。

すこし中身を紹介しますと、遠藤周作曰く、戦争中の学生だった時分に、国防婦人会が街角で、パーマをかけた娘に、ゼイタクは敵だとみんなが見ている前で娘にチラシを渡し、娘が真っ赤な顔をするのに対して、国防婦人会の面々が得意顔で自分たちは正しいことをしているという顔をする。こうした光景を、新聞も写真付きで褒めたたえていたのを見て、そうした行為の愚かさよりも、大衆の偽善的心理がイヤでならなかった、との趣旨のことを書いています。

戦争の時代でなくても民主主義の時代になっていた昭和51年でさえ、こうした偽善的心理は続いていて、ロッキード事件のとき、事件の悪事が残した不快感や怒りには同調しつつも、丸紅の社員の子供たちを同級生が村八分にして虐め、教師までもがピーナッツ君と呼んで辱めていたということに触れ、事件が残した不快感や怒りの話と丸紅の社員や子供が苛めるという話は全く別の話であって、こうした偽善的行為に落胆しています。

続けて、こうした偽善的行為には、民主主義とは全く関係のない、群集心理と残酷さとがあるに過ぎないとし、そうした行為を成す人々は、一人の時は決してそうではないけど、ひとたび大衆となり「これが正義だ」という錦の御旗やスローガンを与えられると、行為とスローガンの矛盾にも気付かなくなって、絶対化してしまい、随分残酷にもなれるし、得手勝手にもなれるのだと。

遠藤周作は、民主主義とも正義とも全く関係のない、残酷性を内在した群集心理の空虚さを指摘しているわけですが、それは今も全く変わらないと思うのです。むしろ、SNSの中で、人々は簡単にスローガンを見つけることができ、簡単に群集心理に陶酔することができ、正義や善のもつ限界を意識することもなく、自分は正しい、自分はいいことをしている、とネット上で言論を振りかざし、簡単に残酷になれる。国防婦人会やロッキード事件の教師よりも、遥かに残酷な気がします。

遠藤周作はもともと敬虔な部類のキリスト教徒だと思うのですが、それでも西洋の二分論的発想に懐疑的で、善も過ぎれば悪になり、正義も過ぎれば不義になる、と三分論的発想の指摘をしています。そもそも侘や寂(ワビやサビ)の意識に親しんでいる日本人は、そうした深い発想をする三分論的発想が得意なはずなのですが、群集心理の前には刃が絶たず、これもメディアというものが作用する脅威なのだと思います。

有名な例が、国を蔑ろにした朝日新聞の慰安婦報道や、報道被害を出した松本サリン事件。またコロナ感染拡大期では、メディアに翻弄されました。滅茶苦茶な報道にも辟易としますが、それよりも群集心理という残酷さを掻き起こすことの方が驚異です。既存メディアは常に報道倫理に真剣に取り組んでいるはずですが、それでも起こる結果を想像できないのは、国防婦人会が娘の悲しさを想像できないのと本質的には同じであって、影響力が強い分だけタチが悪い。そして更に恐ろしいのは、誰も管理していないSNSがまき散らす残酷さのレベルは恐怖でしかありません。

思えば私が度々引用している司馬遼太郎も、思想が先鋭化すれば右だろうが左だろうが残酷になれるものだとしていますが、それは自らがもつ権力に対する謙虚さを忘れ、右でも左でもそれぞれの集団のなかで群集心理を拡大し、先鋭化して限界を超えていくということと、完全に一致するように思います。

人間は自らが無意識のうちに持つ残酷さを認識しなければならないのだと思います。常に限界を超えていないかどうかを確認する態度が必要なのでしょう。過ぎたるはお及ばざるがごとし。「他策無カリシヲ信ゼムト欲ス」を書いた若泉敬を見習うべきです。