今日、来る4月28日にいよいよ開催される政府主催の主権回復の日に関する議論が党内で行われました。そのときに想った事を書き綴ってみたいと思います。
少し余談から入りますが、内田樹さんの日本辺境論を読んだときに、なんとなく自分で分かっていながらその答えを敢えて避けてきた感じの疑問、つまり日本人とは何かという疑問に対して、ふわふわとした感覚ではなく、明確に活字という明文としてその答えが浮き彫りにされてしまったな、というなんともいえない気恥ずかしい思いをしたのを今でも覚えています。
私は内田樹さんのこの本は、戦後日本の思想の大家である丸山真男さんのそれと同様、結論については全く賛同するものではありませんが、結論に達するまでに書かれている内容は、改めて感嘆するしかありません。
一言で言い表すのも恐縮ながら、単純に言えば日本人の原点は相対的なものでしかないということです。アメリカのような人口国家=理念で作られた国であれば原点は絶対的なものとして定まっている。だから国家一大事にあたったときは原点に帰って考え直す。これが絶対的な自信に繋がるのかもしれません。しかし、日本は理念で作られた国ではないので、原点はあくまで相対的なものです。だから帰るところがない。帰るところがないから、常に相対的に自分の立ち位置を探してしまう。
つまり、歴史と言う縦の軸の中で立ち位置をはかるのではなく、常に水平の軸のなかで、諸外国との比較の中で自分の位置を探ろうとしている、との論です。ご興味があれば一読されることをお勧めしますが、だからこそ逆に、日本は自省の意味で、原点というものの輪郭を探す努力をする必要があると思っています。
そして新しい時代の日本を考えるにあたっては、私は先の戦争を日本人自らが総括することを避けて通ることはできないと思っています。その意味で、サンフランシスコ講和条約の発効を通じて主権を回復した1952年の4月28日を、日本を縦の軸の中で改めて考え直すきっかけのシンボルにしていくことの意味は大きいと思っています。
しかし、そうはいえ、もう一つの大きな問題を避けて通ることはできません。沖縄の県民の感情です。本日、沖縄選出の西銘恒三郎先生は「沖縄にとっては、頼りにしていた親から切り離された思いだ」と述べられていました。確かに激戦地になり必死で日本のために戦った地であるのにもかかわらず、講和条約発効の後も直ちには返還されなかった地であり、はらわたが煮えくり返る気持ちであろうと思います。そうした心は、もはや政治家であろうが総理であろうが受け止めることは困難なのではないかと思っています。
であればこそ、この主権回復の日に両陛下がご臨席を決断された意味を我々は真剣に考えなければなりません。恐らく両陛下としては、日本の縦の軸の延長線上の未来に想いを馳せられた上での苦渋の決断ではなかったのかと私は思っています。私としては陛下から少しでもお言葉を賜ることができればと思っていましたが、それは厳に慎むべき意見なのだと、今日の党の議論では胸にしまいこんでおきました。