以前も触れましたが、外交上の情報の取り扱いについては、発信・収集・管理の3つの要素は基本であり、その一つである発信力の強化は、国際社会に生きる国家として、特に日本のようにこれまでわかってくれるまで黙ってたほうがいいという戦略(?)をとっていた国としては、間違いなく次に力を注ぐべき不可欠な要素であり、現在自民党としても、外交上の情報発信力の強化が盛んに議論されています。
ここまでは間違いなくいい方向です。しかし、問題は、発信すればいいということになってはいないか、独りよがりの情報発信になっていないかということです。情報発信が必要なのは、国際世論形成のためであり、独りよがりではだめなのです。
例えば慰安婦問題。海外に行って議論したことがある人ならだれしもわかっていると思いますが、慰安婦問題は出したが負けの世界です。もちろん、調査によると、軍が強制連行による直接関与をした事実は確認できないわけで、そうした事実はなかったか、あるいは、あったとしてもごくわずかであろうと思われます。これについては、秦郁彦の慰安婦と戦場の性に詳しい。
しかし問題は、そうした歴史を、現代的普遍的価値に基づいて客観的に測った時に、議論の初っ端として切り出す内容として、いやあれは強制性はありませんよ、ということが正しいのかどうか、なのだと思っています。
例えば、アメリカには奴隷制という忌まわしい過去がある。それをアメリカ人に問いただすと、大多数は、あれは極めて遺憾な過去である、と答えるでしょう。もし、あれは商売で奴隷を売買する商人がいたからであってアメリカは関係ない、という人がいたとすれば、極めて違和感を覚えるひとが大多数なのではないでしょうか。
だから、遺憾な問題なのです、と答えるべきなのです。もちろん、では補償の話になれば、いわゆる論理としてのこうした事実を述べればいいのだと思います。
より大きな視点での問題は、中国は、アメリカとの新しい大国関係を築こうと懸命ですが、これはうまくいっていない。逆に普遍的価値で囲い込まれてしまっている。残る戦略は、おかしいのは中国ではなく、日本なのだ、日本を孤立化しよう、という戦略なのであって、日本は普遍的価値と言いながら歴史事実を捻じ曲げようとしている、というキャンペーンをやるわけです。これは日本が本質的に悪いと宣伝したいわけではなく、国内事情+外交世論形成という戦略なのです。
だから慰安婦問題という中国にとっては格好の材料があれば、日本こそが普遍的価値に対抗しようとしている国だというキャンペーンが張れる。だから韓国への接近が戦略上ツールになるわけで、安重根記念館をわざわざ韓国の大統領の要請を受けて作った。
韓国に、何の得があるかと言えば、アメリカと中国と両方仲良くできる。岡本行夫さんによれば、それは慰安婦カードを切って日本を切り捨てたからできた。慰安婦の宣伝をすることだけで中国を満足させられる。
いずれにせよ、何が言いたいかと言えば、韓国も中国もそれなりに戦略はあるわけで、その戦略を受けて、日本の戦略を考えなければならない。話したいことを話すのは戦略ではない、ということです。そして、こうした文脈での日本の戦略は、力を背景とした現状変更を試みる勢力に対抗するための安保戦略と、日本人の自信と誇りを取り戻すための教育改革は、全く違う文脈ですよ、ということを説明することなのだと思っています。