働き方改革と人口減少対策と生産性向上

今国会が実質上昨日で終わりました。国会の機能は立法だけではない、首相を選ぶことと行政をチェックする機能もある、と枝野幸男代表が本会議の演説で述べておられましたが、私自身、価値を行政と創り上げる事、も重要だと思っています。よく、国会議員って何しているの、と聞かれることがありますが、政策提言をしっかりとし続けて、価値を作っていかなければならないのだと思います。

今年の通常国会の目玉は働き方改革。去年からの持越しである上に、このテーマは大きな課題であって何年にもわたっていたるところで議論をされてきた問題ですので、今更感はありますが、重要なので、触れさせていただければと思います。

内政において中長期の最重要課題は何かと問われれば、誰しもが人口減少対策、と答えると思いますが、その主要な柱が働き方改革です。

今後の日本の人口は、楽観的試算でも2090年近くまでは確実に人口は減少し続けます。フローであるGDPを維持するならば、生産性をその分上げるしかない。そしてそもそも減少幅を少なくする努力をしなければなりません。つまり、女性や高齢者の労働参加を促すとともに、出生率改善を促し、労働生産性を高める事です。

その為には、種々の施策が考えられますが、労働政策は基本政策の1つです。私自身は、2年前に人口減少対策議員連盟で政策取り纏め役として政策提言を行いましたが、その時に有識者ヒアリングの一環としてお話を伺った、小室淑惠さんのプレゼンが未だに忘れることができません。皆様も、ネットなどで見れると思いますので、是非ご覧いただくことをお勧めいたします。

国会の審議を聞いていると、残念ながら野党の皆さんから国家感とか政策の基本哲学とかを聞いたことがなく、常に表面的な問題点ばかりの追求に終わっていることを残念に思っています。もちろん追求は重要であってどんどんやって頂ければと思いますが、寧ろ、小室淑惠さんがお訴えになっているような、今後の国家の何が問題で、その解決策は何なのか、を是非論じていただければと思っています。

改革の基本ポリシーは、多様な働き方が可能な社会を実現するということです。その具体的政策の玉が長時間労働の是正です。簡単に説明すると、現在の社会は過去と大きく異なり、働き方に多様性を許容しなければ労働力を維持できないという問題があります。例えば、介護離職や介護休暇取得者が激増しています。会社の50台の部長クラスが休まざるを得なくなる。また、出産よりも労働を選択する夫婦も多い。よく勘違いされるのですが、多様な働き方とかワークライフバランスというのは、左翼的ゆとり教育的な発想ではなく、国家感的発想だということです。

長時間労働を許容すると、家庭に負担のしわ寄せがくる。直接的には女性の社会進出を阻み、また出生率の低下につながるという明白なエビデンスがあります。更に介護人材を阻み、育児人材も阻みます。つまり、いわゆる「できる人」に負荷が集中する。できる人というのは必ずしも能力が高いということではなくて、実際に長時間でも労働が可能な人という意味です。介護休暇や育児休暇の取得をする人は、できない人になります。できない人の評価は能力とは関係なく結果的に低くなってしまう。

逆に言えば、企業から見れば、介護も育児も参画しない仕事専念人間を採用した方がいいわけで、そうした人が採用され評価される。しかし、もうそうした人材はいないのだ、ということを認識しなければなりません。多様性を許容できない社会は、貴重な労働力の流出という残酷な結果を生んでしまうという側面も忘れてはなりません。現在、高度人材が海外に流出しています。

もう一つの側面は、長時間労働を許容すると、家庭の負担増に伴って、育児や介護の公的サービスに対する需要が増えるということです。これは結局、政府の財政を圧迫し、それを通じて税金として国民に跳ね返っています。

モーレツ社員とか24時間働けますか、という言葉が昔ありましたが、昔の社会構造だとそれでよかった。でも、現代の社会構造は、仕事が好きだからがんばりたいんです、という美談的な発想は、社会をダメにすることは明白です。

小室さんは少子化や労働参画の議論をすると必ず女性に焦点があたるけど、事の本質は男性の働き方是正にある、と喝破されておられましたが、まさにその部分です。リクルートという会社は、残業時間自主規制を行い、深夜労働が86%減って女性従業員の出産が1.8倍、生産性が5%増え、労働時間が3%減少したそうです。子供が1人いる人の労働時間と2人目出産の間には、非常に強い相関があるというエビデンスもあります。

今回の法改正では、労働時間自体を規制することにしました。現在の労働規制は一応上限(月45時間)はあるのですが、36協定と言って、労働者と使用者の事前合意があれば、上限を超えていいことになっています。それを明確に上限設定することにしました(1か月100時間、複数か月平均80時間)。実はEUは週48時間という上限が設けられています。労働インターバル制度と言って、前日働いて次の日に働き始める間の時間を設ける規制もEUにはあります。日本も近くなったと言えます。

社会が労働時間の上限規制を設けると、別のことも起きます。例えば、これをお読みの皆さんが、とある会社のとある部署の課長さんだったとします。部下は10人。仕事が10増えた。1人に1の仕事を任せればよいはずです。しかし、多様な時代、10人の内5人が働けないとします。すると残り5人に2づつ仕事を任せることになる。恐らく「モーレツ」に残業することになる。最初の5人は離職するかもしません。仮に課長が、残業規制をして、チームで評価することとし、最終退出者の氏名と時間を記録するようにしたら、何が起きるでしょうか。チーム内でお互いにやりくりして、時間当たりのチームの生産性を競うようになります。結果的に労働生産性は上がる。ただ、課長は、自分の課と競合する他の課が同じポリシーでやってくれないと、自分のチームで他の課より成果が出せるか不安なはずです。恐らく社長に、全社的取り組みにしてほしいと言うはずです。社長にしたら、社会全体で同じ取り組みにしてほしいと思うはずです。これが今回の改革のポリシーの一つになっています。

もちろんこれだけではありません。もう一つのテーマは労働生産性自体です。本来、裁量労働制の改革が政策パッケージの一つでしたが、今年3月に野党の反対と厚労省の根拠データの不備があったために断念しました。一方で、高度プロフェッショナル人材制度の創設が謳われました。一定の職種、一定の年収の人を対象に、時間に囚われない働き方を許容する制度です。

正規・非正規の格差改善も重要テーマです。どうも国会での議論で残念なのが、非正規は正規と同じだけ働いているのに可哀そうじゃないか、という視点しか持ち合わせていないか、そう装っている人がいることです。確かに解消しなければなりません。しかし、正規や非正規という枠が時代にマッチしていないということをしっかり認識しなければなりません。上の段落でも述べたように、出産・育児・介護などライフステージに合わせた多様な働き方を選択できるようにすることが必要な時代です。だから「この国から非正規という言葉を一掃する」と総理もおっしゃいましたが、概念改革をしなければならないのです。

同一労働・同一賃金。実は日本で本格的にこの改革をやろうとすると、革命的改革になります。なぜならば、諸外国の労働慣行・労働市場構造と日本のものは結構違うからです。日本の場合、就職というのは会社との契約であって、それは退職まで続く。諸外国の場合は、特定の部署の特定の仕事の契約になるのが一般的です。つまり、日本の場合、一度就職したらエレベータ式に上っていける構造とも言えますが、上司や会社に言われた仕事は場所や内容は問わず何でもしないといけない。一方、諸外国の場合は、契約を更新しない限り、そのセクションで同じ仕事をする。結果的に、日本は新入社員を一括で採るのに対して、諸外国では空いたポストだけ採用する。従って、諸外国はポストが固定化する可能性が高く、つまり格差も固定化する可能性も高い雇用構造になっています。外国映画では、別の会社からスポッと課長がやってきたり、転職が盛んにおこなわれてたり、ヘッドハントが日常茶飯だったりするのは、このためです。こういう雇用構造だと、同一労働同一賃金はやりやすい。しかし、日本がこれを本格的にまねしようとすると、革命になってしまいます。

同一企業内で労働者の間の比較として不合理な待遇を禁じていますが、その運用を厳格化したこと、職務内容などが同じであれば均等待遇の確保を義務付けたこと、派遣の取り扱いも厳格化したこと、そして、明確なガイドラインを整備し、労働者に対して待遇差がある場合は説明を義務化し、労働者に対してADR(裁判外紛争解決手続き)の整備をすることとされました。