明日の15日、66回目の終戦記念日を迎えるにあたり、300万柱を超える戦没者に対し、改めて心から謹んで深甚なる哀悼の誠を捧げ、また恒久平和へのたゆまぬ努力をお誓い申し上げる次第であります。
大学の頃、靖国神社の裏手、徒歩5分もかからないところで下宿をしておりました。高校生になるまでは靖国のその意味さえ深く考えることもありませんでしたが、大学の頃からこうした環境が影響してなのか、大村益次郎とはだれなのか、なぜ戦争はおきたのか、当時の兵士はどのような心境だったのか、国とは何か、など深く考えさせられました。
家族を思い恋人を思い散っていった戦没者が、例えば渋谷の若者を天国から見て、平和を享受している現代人の姿に何を思うのか、願わくば喜んで頂ければとは思いながらも怒りを覚えていらっしゃるのか。そして、いずれにせよ、戦没者はじめ先祖の尋常ならざる努力によって今が成り立っていると、しっかりと後代の我々は認識しないといけません。そして我々は戦没者追悼と同時に平和追求のシンボルを持たなければなりません。それが靖国であると思っています。
思えば終戦直後の国是は平和と復興でありました。吉田茂によって方向付けられた戦後日本のシステムは、適切に機能し、平和と復興を成し遂げ、驚異的な経済成長を遂げました。ここ10年くらいは、デフレ不況によって閉塞感が漂い、新しい国是綱目を掲げないと前に進まない状況にある、だけれどもその国是とは何かを政治が完全に見失っている状況でもあったと言っても過言ではありませんでした。
そして今年。第二の戦後と言われるまでに至っている大震災後の復興活動。つまらぬ小競り合いはやめにして(逆に言えばどさくさにまぎれて関係の無いことを災害復興にむすびつけるような小細工をするのはやめ)、まさに堪え難きを堪え忍び難きを忍び、以て万世の為に太平を開かんと欲する態度が政治に必要なはずです。
先日、開催が危ぶまれていた岩手県での花火大会の様子がテレビで報道されていました。被災者(ご遺族)が、いつもはきれいな花火が今年は悲しい形に見えるわ、とおっしゃっていました。おそらくこれからこの方にとって花火の見え方がかわるのだと思います。花火はこの方にとってのおそらく平和と復興のシンボルになるのだと思います。そしてそのシンボルの背後には、多くの被害にあわれた被災者の苦しみがあります。被災者のそれぞれのシンボルを、きれいなものにしなければなりません。