(写真:米国ワシントンDCのブレアハウスにて安倍総理と)
・はじめに
安倍総理が辞任を表明した。激動の時代、茹でガエルの如く沈みつつあった日本を回復軌道に乗せた。経済や外交安全保障政策は歴史に残るだろう。特に日本の国際政治力を過去最高レベルに持っていってことは大きい。困難や失敗もあったはずだ。しかし、どのような失敗でも、全て自分が受けて立ち、絶対に人のせいにしない方であった。強靭さの裏側で、苦労は絶えなかったはずだ。可能な限り治療に専念してほしいと切に願い、まずは8年間に渡る重責とご労苦に心からご慰労を申し上げ、感謝と敬意を表したい。
・世界が分断の方向へ
民主主義をけん引してきた欧米先進諸外国では、国民の分断が進んできた。所得格差や移民、あるいはテクノロジーの進化に伴ったSNSなどのメディアの急伸などが理由だ。政治も分断を深めた。敵を作る政治は、支持する固定客が増える。かつて小泉純一郎首相は、自民党をぶっ壊す、と言って、ある種、権力を持つ者への対抗軸を作り、メディアを味方につけて、高い支持率を維持した。
ただ政策的には、そのプリンシプルが確立されていたようには見えない。郵政民営化にしろ、自衛隊の活動にしろ、一つの確たる包括的な政策軸や哲学が見えたかというと、そうではなかった。ただ、庶民の味方、権力や利権や不透明政治の敵、古い政治からの脱却が軸ではあった。今思えば、これをやり遂げなければ、その後の決める政治、必要な政策の断行、といったものはおおよそ実現不可能だったはずだ。避けて通れない道であったと言える。国家をどのように発展させ、運営するかという大局的政策的基軸については、後身に譲ったと見るべきだ。
・プリンシプルベースの政策
そのバトンは安倍総理に渡された。安倍総理の場合は違う。必ずしも敢えて敵を作って劇場型政治にしたわけではなく、必要と思われる政策を断行していった結果、政策的に左派と戦うことになり、結果的に左派を敵とした。そうした政策の数々を並べてみれば、総理の話を聞いてみるまでもなく、ある種のプリンシプルに基づくものを感じれるものであった。特に外交安全保障政策は典型だ。
基本的には票やパフォーマンスに阿った過去の自民党を、真っ当な保守の自民党にしたと見ることもできるし、自民党がやりたくても政治的にできなかったことを成し遂げたと言ってもいい。例えば、集団的自衛権の一部限定容認や特定秘密保護法などは、人気を気にしていたら手を付けなかったはずの政策を、国家の為に敢えて断行した。左派を敵にしたのは結果論に過ぎない。
さらにその結果、保守層の一部から固定的支持を得るに至った。この8年弱の間、順風満帆であったわけではない。時に国民の支持を失いつつあった場合もあった。私の場合、大方の不人気政策であっても地元に帰って直接説明をすれば納得いただける場合が多かったが、原理主義的反対を喰らうに至っては、説明を諦めたこともある。しかし、諸外国ほどではないが、一定の強い支持基盤が確立されていたと言える。
・足りなかったものは統治システム
仮に左派から徹底的な政策対案がでてくれば日本の政治も進化したはずである。その場合、国民的議論が起きるのが望ましい。本来の政治とはこうあるべきなのだろう。しかし残念ながら左派は反対のための反対に終始した。反対のための反対のためにイメージ操作が横行した。話をぶり返したくないので敢えて触れないが、隠ぺい体質、独断専行、1強他弱、立憲主義崩壊、など中身や本質を無視したレッテル貼りが横行し、まさに好き放題やりたい放題であったように思う。
私も地元に帰って反対層に問い詰められたこともある。解説を試みた結果、私の不徳の致すところで残念ながら交友関係にヒビが入ってしまったこともあった。一番どうしようもないのが、私に貼られるレッテルであった。私が与党の一員だから総理をかばわざるを得ない立場なのだという固定観念をお持ちの方であった。いわゆる悪魔の証明と言われる難癖は疑惑を晴らすのは困難で堂々巡りとなる。
A「お前は悪魔だ、何故なら悪魔が使う棒を持っている。」
B「いえ、これは料理に使う棒なのです。」
A「ではなぜ20cmもあるのだ」
B「新しい料理に挑戦するためです」
A「そんな理由は通らない。誰から買った」
B「都内の料理屋です」
A「その料理屋はこの怪しい霊媒師と付き合いがあるのです皆さん」
もちろんこれはフィクションだが、この手の謎のやり取りが何度も何度も国会で繰り返された。もちろん私がすべての情報にアクセスできるわけではない。総理の考えや行動をつぶさに知る立場でもなく、また無派閥ゆえに情報も限られたものであったのかもしれない。しかし本質論を捉えていない質疑が繰り返されたのは事実だ。
もし私が野党なら、疑惑が生じる根本的理由である統治システムの改善を追求したであろう。厚労省統計問題が発覚した際、アベノミクスによる経済効果を良く見せるために偽装したのではないか、というレッテル貼りが横行した。与党側がエビデンスを並べて反論すれば簡単に論破される類の質問を国会質問で永遠と聞かされた。問題の本質は、統計という国家の体温計とも言うべき重要な事柄を扱う部局の予算が年々削られ、人員も減らされ、蔑ろにされてきたことであって、ミスに気付きながら放置され問題視もされなかった行政の統治の仕組みこそ本格的に問題視しなければならなかったはずであった。
(本稿の趣旨から外れるが、自浄作用の働かない組織ほどダメなものはなく、ダメなものを発見して正すのも議会の役割ならば、自浄作用のエコシステムを作るのも議会の役割なはずだ。それがアベノミクス偽装という質問を繰り返していては、問題の本質から目をそらすばかりだ。まるで国が良くなるより総理の首を取るほうが先決とも見えた。これからの政治は、抜本的なシステム改善を行わざるを得ないことが多く、だからこそ民主主義的な合意を得ることに全力を尽くさねばならず、したがって国家統治機構の再構築は避けて通れないはずだ。)
・外交安全保障の抜本的改善
2015年という年は、日本の外交史上、転換点の一つに位置付けられても不思議ではない。安倍総理による4月の米上下両院議会演説と戦後70年談話だ。
2015年4月30日、今からもう5年も前になるが、当時私は米国ワシントンにある連邦議会、通称キャピトルヒルにいた。上下両院合同会議で安倍総理が演説することになっており、極めて幸運なことにその場に同席することになっていた。総理の米議会演説は、長い時間をかけて関係者が様々な努力を積み上げた結果に、セットされたものだった。しかし、それ以上に、このタイミングで総理がその場所で演説すること自体に大きな意味があった。
当時の安倍総理に対する世界の見方は今とは全く違うものであった。2012年末に総理大臣に就任した安倍総理は、海外の要人やメディアからAbenomicsによる経済復活を評価され非常に注目される人物であった一方で、右傾化の疑問を持たれていた。当時、お会いする海外メディアや海外政府職員から、開口一番、なぜ安倍総理は右傾化を狙っているのか、という質問ばかりを投げつけられ閉口していた。反日感情の強い国家によるイメージ操作だとの噂もあった。
何れにせよ、演説は大成功を収めた。内容の評価は他に譲るが、少なくとも私は手が震えるほどの感動、というよりむしろ高揚感をもって聞いた。演説後に目の前で繰り広げられた光景を未だに忘れられない。米連邦議員が全員、拍手で安倍総理を見送り、握手を求める者、肩を軽く叩き慰労を表わす者、サインを求める者が多くいた。演説中のスタンディングオベーションは、ある種の外交儀礼だと言われるが、間違いなくそうではない感覚に包まれたものだった。その空気感をうまく伝える能力に欠けている自分を呪いたい。
事実、この演説と続く夏の8月14日に発表された戦後70年談話以降、歴史問題を外交カードに絡めようとする国々以外の日本に対する感覚はそれまでとは違うものとなった。オバマ大統領だけは日本に対して異質の雰囲気を醸し出していたが、過去の戦争に対する考え方について歴代内閣の考えを継承した上で、将来の世代に謝罪を続ける宿命を負わせないという意思表示を明確に行うことで、外国の評価のみならず、国内の意見分断にも、一応の決着をつけた形となった。
兎に角、努力を惜しまない人だったことは間違いない。日本の議会では当然、総理は答弁を求められるが、特に本会議場での答弁は、事前に用意された原稿を忠実に読むことが求められる。逆に言えば原稿さえ入念に準備すれば、当日は読むだけでいいはずなのだが、本会議中でも、総理が原稿を口にして読んで練習をしていたのは、多くの議員が目撃している。この米上下両院議会演説も、相当練習をしたと言われる。
一方で、元来極めて明るい方だと思っている。会食をともにしたことが多いとは言い難いが、話のネタの幅、冗談やユーモアは、人を大いに和ませる。リーダーは明るい方がいい。おそらく国会答弁だけご覧になっている方には想像できないかもしれない。特に私のお気に入りは、外国要人に対するユーモアだ。ホワイトハウスで、ハウスオブカードを引用したユーモアたっぷりの話をしたと聞いたことがある。外交に成功する秘訣として多くの方がユーモアを重要視するが、なかなか真似できないセンスだと思う。
掲載した写真は、議会演説後の夜に、総理の宿泊先であるブレアハウスに招いて頂いた時のものだ。同僚議員何人かとお邪魔した。一人一人に写真を撮ろうと言ってくれた。ブレアハウスは、ホワイトハウスに隣接する大統領賓客の宿泊施設で、副大統領執務室やNSC事務局が入居する行政府ビルの対面に位置する。世界を動かす中心地で堂々と歩く日本人がいることに、何か誇らしい気持ちになったことをよく覚えている。
・今後の自民党
安倍総理の辞任表明後、世論調査が行われた。辞任を表明した宰相の支持率調査を行うこと自体、珍しいのではないかと思うが、驚くことに20%近く上昇していた。過去8年の政策についは7割の人が評価しているとの結果だった。ご慰労ご祝儀相場など様々な見方があるのだろう。いわゆる、メディア情報番組のコメンテータが、「安倍総理いろいろ言い過ぎてごめんなさい、という意味ではないか」とか、「辞めるのは妥当だが政策は継続してほしい、という意味ではないか」とも評価していた。もはやこうした評価はどうでもいいことなのであろう。私としては、兎に角、高揚感のある8年間であった。
今後、どのような国家を創っていくのか。少なくとも政策的には、現状の政策の方向性の延長線上に、なさねばならない大きな政策課題があることだけは間違いない。安倍総理の政策の継承か否かではない。どなたであろうがやるべき方向は見えているはずだ。なので重要なことは、為すべきと思うことを着実に実施し、それでも反対者が現れたら、決して容易に迎合することなく、全力で理解を求め、それでもダメなら真っ当に対立し、結果をもって包摂していくことではないか。