(写真提供:Eric Gaba – Wikimedia Commons user: Sting)
「プラトンは哲学者の手に政治をゆだねることをもって理想としたが、この理想が歴史上ただ一回実現した例がある。それがマルクス・アウレーリウスの場合であった。」
これは、岩波新書・神谷美恵子訳によるマルクル・アウレーリウスの自省録の訳者序の冒頭です。マルクス・アウレーリウスとは、古代ローマの皇帝で、善政を布いた5人の賢帝の一人。学識に長けたストア派哲学者だったといいますから、ストイックだったのだと思います。ストイックとは、まさに政治に必要な自制心を十分に備えた人物であったのでしょう。
ただ、現代の現実社会では、哲学者の手に政治を委ねれば善政になるとは限りません。善政とは、大多数の人が納得するという意味なので、多様な価値が存在する社会のなかで、哲学者だからと言って善悪の判断基準を大局的に示し容易に受け入れられるとは限りません。皇帝が正義の裁定者となりえた正戦論の時代には、容易に成り立ったのかもしれません。また、永遠と哲学を探求され答えがでない決められない政治になっても困る。
例えばコロナのワクチン。開発に成功して100万人分が調達できたとする。0.001%の確率で重篤な副反応がでることが分かっているとする。数にして10人。人の命と健康は尊いので接種すべきでない、というのも哲学的ですし、人類存続のため、というのも哲学的です。だからこそ、完全ではないにせよ、現在では民主的統制が最も現実的なのだと思います。重要なことは、自制心をもって何が善なのかをとことん突き詰めて早急に答えを出し民主的な評価を受けることです。
この岩波の自省録は、実は初当選したころ読もうと思って買ったものの、あまり面白くないので、蝶々(読み進めたところで開いて逆さに置いて放置しておくことを私はこう呼んでいます)になっていたものですが、最近、ディスカバー・佐藤けんいち編訳による自省録が出版されていて、手に取ってみたのが先月のことでした。超訳とされているとおり、かなりの意訳なのだと思いますが、訳者が指摘している通り、極めて日本人になじみの深い内容であることに気づかされ驚かされます(岩波新書では全く感じませんでしたが)。
言っていることは、自分の身を運命に委ねよ、何事も全力で取り組め、心を乱されるな、物事の内面を見よ、本質にせまれ、他者に振り回されるな、などといったものです。
安倍首相が辞任を表明し、新しいパワーゲームが始まっています。総裁選です。本日の党総務会で、総裁選のプロセスの最終決定がなされました。幹事長一任です。これまで党執行部は、党員投票を省いて両院議員協議会で総裁の選出を行う方向で幹事長に一任されていました。一応正式なプロセスです。そこに青年局が中心となって、党員投票を求めたのが本日の総務会ということになります。私も賛同者に名を連ねました。ただこれは新たな分断を呼んだ可能性もあります。マルクス・アウレーリウスであったら何を思ったのか。
私自身の考えは、党員投票によるべきだというものでした。これは正統性が政治の原点であり、国民とは言わずとも少なくとも党員の意思を反映してこそ初めて、強いリーダシップで改革を断行できるものだと思っているからです。逆に言えば、旧態依然のイメージが喧伝され、ひいては将来の政治空白を生んでしまうことを危惧したからにほかなりません。どこかの早いタイミングで、正統性を担保するアクションを起こさねばならないのだと思います。ただ、来年は党員投票を伴った総裁選は必ず行われます。
いずれにせよ各県連毎で予備選を行う事になると思います。候補者は出そろっていませんが、表明された方はどなたも甲乙つけがたい立派な方だと思います。党員の皆様方には、それぞれの思いに従って予備選で投票をして頂ければと思います。もし投票が行われない地域であれば、思いを代表者にぶつけて頂ければと思います。私は、私の思いを乗せて私の投票に臨むことにしたいと思います。