経験に対する敬意。そして政党政治の行方。

神聖ローマ帝国の流れをくむドイツ帝国の初代宰相ビスマルクは、愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ、という有名な言葉を残しています。愚者の経験とは自分の経験であり、賢者の歴史とは社会の経験、つまり、人類の経験であり、組織の経験です。そして今の日本の政治は、明らかに後者の経験に対する敬意が失われています。

政治評論家の田勢康弘さん曰く、今の民主党は国連に似ている、と。大国も小国も一票。若手議員が経験豊かなベテラン政治家を老害と切り捨て、地位に対する畏れもなく、地位獲得への打算ばかりだと。打算ばかりだとは思いませんが、経験に対する敬意については同感です。

なおもこのことは、派閥を崩壊に導いた小泉首相以降の自民党にも見られる光景で、民主党だけを批判するつもりはありません。政治全般が政治経験に対する敬意に欠けているという印象を持っています。

それもそのはず、政治を為すためには、背反する利害を調整し、関係者を口説き説得し、酒を飲み交わし、議論し、罵倒され、嫌味を言われてあしらわれ、手を回したり回されたりしながら、苦労に苦労を重ね、それでも国のため地域のため、努力しなければならないものです。私のような下級武士付き人(秘書)でも、寝れない日々を送ることもあります。

しかし、こうした苦労は間違いなく政治交渉に役立つものです。だからこそ、そうした苦労は、経験として社会なり組織として蓄積する必要があります。そして社会や組織に蓄積された経験を学ばなければなりません。

もちろん、学んだからと言ってそのまま実行する必要はありません。若さは、事を前に進めるエネルギーに必要なものです。ただ、その「前」と思っていた方向が正しいのかどうかまさに歴史に学ぶ姿勢を大事にしなければなりません。

そうした意味では、執行部は若い人が就き、経験豊な相談役を必ず配すことが組織運営には大切であると思っています。

もうひとつ。派閥政治について。

派閥政治には、悪い点が2あります。小泉政治後の現在は機能していませんが、それはポスト争いと権力闘争です。ポスト争いとは、派閥に入って親分に気に入られなければ仕事ができるポストを貰えない。猫なで声で親分に近づく人がポストを得られる。適材適所とは程遠い人選が行われる。どこの世界でも同じだと思います。金。私腹を肥やそうと思わなくても残念ながら金はある程度かかる。苦労して献金を募る。政治活動するために議員になったのに、若手は集金力がないため、活動資金集めで苦労する。何のために議員になったかわからない。しかし、派閥に入れば、派閥の言うことを聞けば、融通してくれるとしたら、なびいてしまう。これが悲しい自民党の昔の派閥政治の実態で、小泉政権はこれを是正しようとし、現在では派閥はほとんど機能していません。

しかし、以上のことを裏を返して読み直してみたいと思います。塩野七生さんがおっしゃっていたことですが、昔の自民党の時代には、派閥の領袖クラスの話し合い(闘争)で、総理が決まっていた。その闘争の過程では、総理にしてあげる条件として、主要な政策課題が領袖クラス(政党)から提示されていました。つまり、これこれこうした問題を解決するのであれば、総理にしたげますよ、しかし、成し遂げたら総理を辞めなさい、と。竹下総理の消費税。大平総理の日中関係。個人に理念や哲学があろうとかなろうと、器だろうがなかろうが、少なくとも政党としての理念があれば、国家のための課題をこうした形で一つ一つ実現できていました。平時の場合に限って言えば、合理的な運営になっていたと言えます。

そして金。若手の頬を札束で叩くようなやり方という表現は、裏を返せば若手の育成ともとれる。若手は不要な金策に時間を取られなくてすみ、政治運営と政策課題を派閥の勉強会で会得していく。人材育成と人材プールを政党として行っているということにもなります。

もちろん、悪い点を正当化するつもりは全くありません。政治の浄化のためには、裏面の趣旨である政治理念の実行と人材育成を伸ばしつつ、表面である悪い点を払拭する制度を創造しなければなりません。今だ良いアイディアはありませんが、この裏面の2つを無くしては、政党政治に未来はありません。いっそのこと、大連立をしたほうがましだと考えます。