ロシアの侵略を受けるウクライナで悲惨な状況が続いています。兎にも角にもかかる事態を収束させるために最善の努力を日本もしていかなければなりません。日本政府としてはロシアに対する経済制裁を強化しています。これについて一部から批判があることも承知ですが、国際社会と歩調を合わせた形での制裁強化は当然です。先日のG7会合の結果を受ける形で、今日も、その一環として、暗号資産の抜け穴を塞ぐための外為法改正を岸田総理が表明しました(マネーロンダリング対策としてFATF勧告を受けて既に準備はしていたものの一つでもあります)。
一方で、ロシアのウクライナ侵略の意味合いは、国際法違反の非道な侵略行為であるとともに、戦後に人類が築き上げてきた紛争防止の国際システムそのものに対する重大な挑戦であることも極めて重要な課題で、改めてこの国際システムを改革する数少ない機会なのだということを認識しなければなりません。さもなくば、一気に瓦解する可能性を秘めています。
侵略が始まって以降、国連安保理常任理事会で幾度の対ロシア決議の試みがなされましたが、常任理事国であるロシアによってことごとく否決されています。いわゆる拒否権の発動で、5大国がもつ強大な権限です。拒否権が5大国のみに付与されたのは歴史的背景に寄り、秩序を維持するためにあえて清濁併せ呑んだ結果ということになるのですが、あえて意味づけをすれば、この5大国が国際秩序を維持していく正義の番人だということになります。ただ、5大国の全てが常に国際政治の正義の番人であると万人に認識されていないのは明らかです。
念のため一瞬脱線します。正義の番人と言う言葉を軽々に使いましたが、結構深い。そもそも国際政治の世界には正戦論(正当な戦争と不当な戦争を区別)とか無差別戦争観(戦争に不当も正当もない)と言う言葉があり、紛争防止のために理想主義と現実主義を行ったり来たりしている歴史を持っています。17世紀あたりまではローマ皇帝のような正義の絶対的裁定者の存在を基軸とした正戦論の考え方がありましたが、宗教改革後に正義の裁定者が消滅し、代わりに人間に内在する理性に基づく自然法を基礎とする国際法の根本原則が確立されます(ウェストファリア体制)。
しかし国家間紛争の裁定者がいない中でナポレオン戦争が勃発。その反省から各国君主同盟を裁定者と見立てた正統主義への復活と戦争に訴える権利も含めた戦争のルール化(勢力均衡)の考え方が支配していきます(ウィーン体制)。しかし理念が欠如していたため第一次大戦が勃発。人類は未曽有の被害を経験し、その結果、一切の戦争を不正とし対抗手段としての自衛権を認める考えが支配的となりました(ベルサイユ体制)。
ただ自衛権の解釈拡大など理想論が現実の前に破綻し、第二次大戦という甚大な災禍に見舞われ、最終的には理想と現実の両面を民主的統制をベースとして採り入れたリベラルオーダーを人類は国連というシステムによって構築したと理解できます。前者は常任理事国、後者は自衛権です。ただ、常任理事国が正義を裁定できるのかを考えたら明らかなように、未だに未完成なシステムなのです。
秩序は理念と論理だけでは完成しません。生ものを扱う国際政治の世界で直ちに理想論に突き進むのはかえって秩序を乱すことになるのは明らかです。その点、正義の裁定者の存在をある種否定したルターの宗教改革の後の世界にあって、近代国際法の父と呼ばれるグロティウスが正戦論と勢力均衡論をバランスさせようと論理を展開したことは目を見張るものがあります。
小難しいことを書きましたが、現時点で取りうる国連改革の方向は、一歩前進させることです。考えうる具体策の一つは、岸田文雄総理が表明した拒否権の制限です。過去にフランスも試みたもので、自衛権との関係で言えばこれ自体も一筋縄ではありません。あるいはもっと遥かに大胆なオプションを用意しておくのも手かもしれません。いくつかこうしたオプションは考え得ると思います。挑戦していかなければなりません。二度とかかる侵略を許すべきではありません。
侵略が始まって直後の2月26日、ロシアが虚偽の主張を行って軍事行動を行ったとして、ウクライナはロシアを国際司法裁判所に提訴していましたが、3月16日にその要請に基づいて、同裁判所は暫定措置命令を発出しました。報道にもあったとおり、法的拘束力は明確にあるものの、ロシアは同裁判所には管轄権がないとして従う可能性は低いと見られています。こうしたことも併せて考え、日本がまさに国際秩序を維持強化する国際ルール形成に主導的役割で貢献すべき時であると認識しています。