大平正芳。歴史上の総理経験者で最高の評価を受けている大政治家の一人です。同郷というだけで、私ごときが大平先生について書くことは遠慮すべきことなのかもしれませんが、今月末で地元観音寺にある大平正芳記念館が閉鎖されることになり、記念館への訪問を機に、恐れながら少しだけ触れてみたいと思います。
と思っていた矢先に、先日、近所の水利総代会にて、大平先生の当時の若手後援者であった方から、貴重なお話を賜りました。曰く、昔、大平正芳先生の選挙の応援に、吉田茂が上高野小学校(我が観音寺事務所の近く)までお越しになったそうな。そのとき、吉田茂が冒頭、「私は、”おおたいら”先生の応援に来た。天下を平らにしてくれる人だ」と。その言葉が未だに忘れられないとおっしゃっていました。
既に60年くらい前の話の筈。吉田茂という私にとって遥か彼方の歴史上の人物を急に身近に感じさせてくれた話ですが、それよりも、その時の話を克明に覚えている方がまだまだ地域にご健在だという事実、つまり大平正芳がまだまだ香川では生身の感覚としてあちらこちらに人々の心に残っているということに多少の驚きをもって誇らしく思うのです。そして実はこうしたエピソードはそれこそ地元にいれば毎日のように聞かされる話であったりします。
同郷人としてのではなく、大政治家としてのエピソードのうち、もっとも肌に伝わってきたものは、大平先生の後継として出馬され運輸大臣をされた森田一先生から伺ったものです。森田先生が大平先生の総理秘書官をされていたときのエピソードで、これについては過去にブログで触れましたので再掲は致しませんが、本当の政治とはどうあるべきなのかを深く深く考えさせるエピソードでした。 https://keitaro-ohno.com/?p=129
親父も大蔵省ということで多少の関係もあったようですが、私には泥臭いエピソードしか教えてくれていません。が、大平先生の温かく鋭い人間性をよく伝えてくれています。例えば、大平先生が蔵相時代、外遊にかばん持ちとして同行すると、両親のことばかり気にかけてくれるといった話であるとか、外遊中に通訳をすると、通訳者にも気を遣ってくれる話であるとか、または、親父に地元から知事選出馬の話が持ち上がると、それを実にうまくさばいた話であるとか、同郷政敵が入閣した際には幹事長として秀逸なコメントを発表した話などです。
改めて、大平記念館が閉鎖されます。残念なことではありますが、余計に大平先生の魂を語り継いでいかなければならないのだと思っています。