おカネがないなら、刷ってしまえばいいじゃないか。
震災以降、この手の主張が国会でも本気で議論されています。いわゆる、政府が発行する国債を日銀に強制的に引き受けさせるもので、結果的にじゃんじゃんおカネを刷ってばら撒くのと同じです。経済の常識的に言えば、こんな馬鹿な話がまかり通っては世も末だということになるのですが、今一度この話を考えてみたいと思います。
おカネを刷ればいい派のことをリフレ派と呼ぶことにします。リフレーションの略だそうです。メリット。今、経済界から見れば、円高、デフレ(=買い控え)、電力の三重苦に政府が真剣に取り組んでくれないと産業空洞化どころの騒ぎではなくなる、ということだと思いますが、リフレ派のメリットは、おカネを刷るわけですから、まず信用力が落ちて円が売られ円安に誘導できる。そして、物に対して通貨が増えるわけですから、物価が上昇しデフレが解消される。調達した資金を電力をはじめ災害復興に十分当てられる。めでたしめでたし。
このリフレ派に対しての反論は、おカネをするわけですから、物価がどんどん上がるだけで実情が伴わず、また信用力が低下するので将来的に国債の引き受け手がなくなる可能性があるから、金利は上昇し、また延々日銀に国債を引き受けていただかなければならなくなる。なぜかと言えば、現在国債の9割以上は国民に買っていただいているが、国民側も持っている財産以上に国債を引き受けることはできず、将来的に、外国人に引き受けてもらわざるを得なくなる。しかし信用の低下したリスク債には相当のリスクプレミアムを上乗せせざるを得ず、そうなると調達コストは馬鹿高くなり、結局日銀さんにお願いせざるを得なくなる。つまり、一度手を付けると止められなくなる劇薬麻薬の類に似ているのでしょうか。
リフレ派がよく引用するのが、高橋是清が打ち出した政策。反対を押し切り、高橋蔵相が日銀に国債を引き受けさせ、結果経済成長率が上昇し、懸念されたインフレも発生しなかった。ただ、高橋蔵相は日銀に引き受けさせた直後に市場に売りさばいているので、日銀保証の形はとったものの、結果的に日銀引き受けではありませんでした。ですから激しいインフレは避けられたものと考えられます。
私は今のところリフレ派には反対です。制御できない不安定な手法にならざるを得ません。そもそも日銀に引き受けていただくのであれば、市場にも出せるはず。今ならまだ税控除付き無利子国債で調達できるはずです。
先日、安住財務大臣が、日銀引き受けは考えていない旨、国会で答弁されていました。それはよしとして、次に無利子国債も、無利子による償還分よりも税の控除による税収が減って国の収入は経るかもしれないので慎重だ、とする答弁をされていました。何たる役所的な答弁であろうと思います。政治主導をここで発揮できないのなら、役所に政治を任せてもいいのではないか、何かをしないと何もできない、という時期にさしかかっているのに、と考えると残念でなりません。
ただ、ここでの主張は何かといえば、いよいよ本当に困り果てて出すものも出せなくなって、それでもじりじりと日本が沈没している状況が続くのであれば、座して死を待つよりも、ではありませんが、この劇薬、使うことになるのかもしれません。そうならないために、役所に任せるのではなく、積極的に種々の政策を前に向けて推し進めるべきだと考えます。