反対運動が沸き起こった検察官定年延長を巡る検察庁法改正案。今国会では見送られ廃案も検討されているという報道もありました。奇しくも政界疑惑が続いてきたなかで、政権が検察庁による捜査を阻止するために人事に介入したのではないか、との疑惑が広がり、特にコロナ対策が最重要課題であったため、批判が拡大しました。さらに渦中の黒川検事長は、まったく情けないことに緊急事態宣言下令下でかつ同法案大揉めの真っ最中に賭けマージャンを行っていたことが発覚し辞任。処分内容や退職金を巡って更に情けない尾ひれがついています。
今回は、この騒動で思うことを書き残しておきたいと思います。そもそもこの法案、どのような背景で、何の話で、政権は何を目指し、何に反対があり、私がどのように感じているのか、について触れていきたいと思います。
1.はじめに
まず初めに、簡単に、どのような制度改正が目的でどこに批判が集まったのかに触れます。制度改正の内容は、細かいことは後に述べるとして、検察官の定年を現在の63歳から65歳にすること、そして、65歳を超えても定年を延長できる特例制度(勤務延長制度)を導入すること、が目的でした。つまり、定年を延長することと、その定年を更に延長できる制度を導入する、ことが主な目的でした。批判が集まったのは後者の方です。
今回の騒動で問題になったことは大きく分けて2つに整理することができます。1つは政権に近いと言われた黒川検事長を政権が都合よく検察トップに据えるために無理やり勤務延長制度を導入して定年延長したのではないか、ということと、そもそも定年延長制度が検察の独立性を脅かすことになるのではないか、ということです。前者を黒川問題、後者を定年延長制度問題と称することにします。
問題を複雑にしているのは何かというと、定年延長の議論は以前から真っ当なプロセスでなされてきたものの延長線上にあるものなのですが、政権が今年1月に法案を通す前であったにもかかわらず、解釈の変更で定年延長制度導入を唐突に行ったから、いよいよ黒川検事長の続投を無理に通して政界疑惑追及回避を狙ったのではないか、との疑念が生じたことにありました。その結果、法案にもミソが付くことになります。いずれにせよ、この2つは絡み合っておりますので、以降、整理していきたいと思います。
2.検察と民主主義について考える
詳細に入る前に、内閣の独断により政界疑惑をも捜査立件できる検察の独立性が脅かされるのではないか、つまり政権の悪事を捜査立件する機関がなくなるのではないか、という、そもそもの国家構造の問題、検察と民主主義の問題が提起されていましたので、まずはこの問題について考え方を整理しておきたいと思います。
強大な権限をもつ検察と内閣の2つの組織は、常に権力構造の緊張関係が重要になります。本質的には検察の独立性と国民による監視をどう両立させるかという問題です。現在は緊張関係が法律と慣例、制度と運用によって保たれています。ですから、誤解を恐れずに言えば、法律に規定したから構造上問題ないという性質のものではなく、常に不断の努力で緊張関係を維持していくことが重要なのだと思います。
例えば現行法でも、法律だけ読むと、検察トップ層の任命権は内閣にあります。なので今でも内閣の独断で検察トップ人事を決められるように見えます。でも実際にはそうならない。言うまでもありませんが検察には公正な捜査が必要とされるので独立性が重要です。内閣が暴走して検察に政治介入したら大変なことになります。ですから政治介入は慣例上運用上制限されてきました。一方で制度と言う意味では、検察の独立性を人事面で構造上担保しているのは、非常に厳格な罷免制度です。普通の国家公務員にはない特別の身分保障がされているということです。つまり、一旦任命されれば、検察が政治家の汚職を追求しようが総理大臣を逮捕しようが、辞める必要はないので幾らでも追及できるという構図になっています。
では独立性が重要なのになぜ政治である内閣に任命権があるのかというと、絶大な権力を有する検察の暴走も心配だからで、検察も国民による監視の下に置く必要があるということです。思えば検察も時々暴走してきました。例えば以前、厚生労働省の元幹部職員が検察に逮捕起訴され無罪となった事件がありましたが、なんと担当検事の証拠改竄が発覚するに至り、国民の批判が集まりました。検察も暴走する可能性があることを世間に晒した事件ですが、こうしたことはときどき起きています。
検察庁というのは、もともと戦前は大審院(最高裁)の下に置かれていました。司法の一部であって、自分で捕まえて、自分で裁く、という絶大な権限があった。ところが占領軍から見たら極めて不完全な三権分立と映り、現在の行政組織の一部となり、国民監視の下に置くため選挙で選ばれる政治で構成される内閣の監視下に置かれ、それが内閣の任命権に繋がっています。
今回の反対運動は、内閣の恣意的判断で人事が行われれば検察の独立が脅かされる、との理解だと思いますが、以上に述べた理由で、検察と内閣の権力関係の構造は、定年延長制度を導入しても直ちに変わるわけではありません。現行ルールでも、やりようによっては、独立が脅かされる、政界疑惑追及ができなくなる、ということは起こり得る話です。一方で、構造的には定年延長制度が導入されると延長対象者が一般化され内閣の影響が強まると考えることもできるし、極めて限られた場合だけに適用されるのだと考えれば、影響力はほとんど変わりません。
つまり、誤解を恐れず言えば、定年ルール変更で検察と内閣の本質的な権力構造が決定的に変わることはないのですが、制度が変化したときに生じる緊張関係のバランス変化は、不断の努力によって保たなければならない、ということです。ここが重要なのです。定年延長制度導入で大変なことが起こるという批判が相次ぎましたが、そういう性質のものではそもそも全くないのだと思います。
検察官OBが法改正反対の意見書を提出しました。詳細は後述するとして、権力の緊張関係を適正にとるための意見だと見れば極めて意義のある意見書ですが、検察は内閣を通じた国民の監視下に置かれる必要はないとも読める内容であって、そうだとすれば現行法をも否定する検察独立至上主義の考え方にも見え、それこそ三権分立を脅かす意見書だとも言えます。検察OBはそこを指摘したかったわけではないはずで、恐らくその主張は、黒川問題に対するものであったはずです。
ですから、繰り返しになりますが、権力の緊張関係をどのように保つのかが一番本質的な課題なのだと思います。今回の騒動で、世の中の単純な非難合戦を見るにつけ、野党がそういう構造を分かっていながら(どう見ても分かっていない方もいましたが)政権追及をするのは分からなくもないのですが、国民の皆さまを違った方向に誘導するのではないかと懸念しております。つまり、検察の独立は絶対だと思う人が多くなった時にこそ、三権分立が脅かされるのだという部分です。
多少余談になりますが、以前、戦時中の政治史について学んだ際に、当時の政治機能が現代のそれと、それほど大きく変わらない本質を有していたことに驚かされました。当時、様々な政界疑獄事件が相次いで発生し、国民意識は政治=悪であって、唯一信頼できるのが日本を懸命に守ってく下さる軍隊というものでした。法構造上、当時の政治は今より遥かに強い権限を持っていたにもかかわらず、軍隊を全くコントロールできなかったのは様々な理由がありますが、少なくとも政治が軍隊に反対すると国民の反発が避けられないという構図もあった。すなわち信頼を失った政治はどのように民主主義を制度で担保しようが崩壊していく運命にあるという、とてもナイーブな構造にあるのだと思います。ですから、信頼を獲得していくことが如何に大切か、そして政治は手前勝手な正義で政策を実行していくのではなく、国民との健全なコミュニケーションを保って正義の健全なアップデートとフィードバックを図らなければ、結果的にトンデモ行政組織ができていくのだと思います。
3.黒川検事長定年延長と法律案の事の発端と疑念について
具体的な話に入ります。事の発端から話を始めたいと思います。事の発端は2つ。1つは黒川検事長の定年延長がどのように決まったのか、もう1つがこの法律案がどのような目的でどのような経緯で俎上に載ったのかです。
3-1.黒川検事長と閣議決定
今年一月、内閣は検察官の定年に関する閣議決定を行いました。内容は定年を迎える検察官の勤務延長です。勤務延長制度は一般の国家公務員に認められた制度で、内閣が認めれば3回まで1回につき1年以内定年を延長することができるという制度ですが、検察官にはないとされていました(検察官の定年は検察庁法で、一般の国家公務員の定年は国家公務員法で規定)。内閣は検察官の定年制度の解釈を突如変更し、検察官にも他の国家公務員同様の勤務延長制度が適用されるとしました。そして適用の第一号となったのが政権に近いと言われている黒川検事長でした。
氏は本来であれば今年2月に63歳を迎えそのまま定年を迎えるはずだったのですが(法律上検察官の定年は63歳、検事総長のみ65歳)、上記の勤務延長制度の援用で8月まで延長されました。理由はカルロス・ゴーン事件等やIR事件を含む遂行中の事件捜査に対応するには同氏の指揮監督が必要不可欠というものでした。政界疑惑で検察の活動が注目されることが多かった時期に重なりますので、様々な憶測を呼び、批判されることになります。結局、端的に申し上げれば、この閣議決定が黒川検事長を検事総長にするためであったのかどうか、勤務延長制度の導入で内閣の影響力が強まらないのか、について検証を進めたいと思います。
3-2.検察庁法改正案
法改正が遡上に載ったのは、数年前からの議論の延長線上にあったことであって、直接疑惑とは関係ありません。ご存知の通り公務員の定年延長の議論は随分前からありました。昨今の労働力不足から民間には65歳までの定年延長を促しており、年金も一元化され受給開始年齢を段階的に65歳にしています。そこで公務員も同趣旨で現在の60歳定年を延長すべきだという議論がありました。そして平成30年に、人事院が内閣に意見申出を提出したことで、議論が進展し、定年を65歳まで段階的に延長し60歳以上は役職定年として人件費を削減する国家公務員法改正案に繋がっています。
http://www.jinji.go.jp/iken/moushide.html
前述の通り検察官は別の法律で規定されていますので検察庁法改正の議論もでてきます。同法では検察官の定年は63歳(検事総長のみ65歳)となっていました。そこで国家公務員法改正に合わせて65歳にすることが議論されました。ところが単純にはいかないのが前述の勤務延長制度です(定年を3回までに限り1回1年まで延長できる制度)。もともと検察官には勤務延長制度がないため、当初の改正案は単純に定年を65歳にするとされていましたが、後に一般国家公務員と全く同じように勤務延長制度が追加されました。疑問が呈されたのが、追加された部分が先に述べた閣議決定を正当化するためだったのではないか、というものです。
いずれにせよ、問題は勤務延長制度のところだけで、それが果たして黒川検事長を定年延長するためだったのか、つまり前者の閣議決定を合わせて考えた時、黒川検事長のための閣議決定とそのための法律案追加だったのかということ、そして、そもそも検察官の勤務延長制度が本質的に妥当なのか、に集約されます。
4.黒川問題
4-1.黒川検事長を検事総長にするための法改正案だったのか?
すでに述べましたが、この法律が成立しようがしまいが、黒川検事長が検事総長になるかならないかとは全く関係ありません。黒川検事長が検事総長になるためには定年延長が必要でしたが、定年延長は、既にその前に閣議で決まっていました。ここは社会的な批判の大きな誤解だったと思います。ただ、そもそも法律案に追加的に埋め込まれた定年延長制度が閣議による黒川検事長の定年延長を正当化するためのものであったのかどうかは未だに解明されていません。そして、法律改正が先送りになった今、法改正を前提とした閣議決定だけが残り、不備のある状態になっているのだと思います。閣議による検察官定年に関する運用解釈変更は直ちに違法ということでは決してありません。しかし法改正を前提として閣議で見直すまではいいとしても、運用を開始するのは法改正を待つべきであったのだと思います。
4-2.黒川検事長を検事総長にするための閣議決定だったのか?
閣議決定で黒川検事長の定年が延長されているからといって、直ちに黒川検事長が検事総長になることはありませんでした。それは、明々白々に、現職の検事総長が辞任しなければ就任できないからです。そして検察官は独立性を担保するために厳格な罷免制度が適用されるなど特別の身分保障がされていますので、普通の人事で罷免されることはありません。そこで、現職検事総長がいつどのような形で退官する可能性があるのかがポイントになります。
現職検事総長は今年8月13日で64歳。自ら辞任しない限り65歳になる2021年8月13日まで勤務可能です。なので、世間の批判がない静かな状態で内閣が黒川検事長の検事総長就任をもくろんだとしても、黒川検事長が”確実”に検事総長になれる資格を得るのは、2021年8月13日からです。そしてその時までには少なくとも3回の勤務延長を黒川検事長に対して行わなければなりません。3回も「退職により公務の運営に著しい支障が生ずると認められる十分な理由」を内閣が示し続けることは端から困難です。
一方で、現職検事総長は慣例通り今夏辞任すると政権が考えたのではないか、という疑念もでてきます(検事総長は2年で後任指名し辞任するのが慣例だそうです)。こうなれば議論してきた疑惑が完全に吹っ飛ぶくらい検察自体の信頼が失墜します。いわば黒川検事長の信頼どころか検察庁全体がそもそも腐っているということになります。
なぜならば、黒川検事長がもし正義より政権忖度を優先する人物ならば、その上司である検事総長はそれを知っていたと考えるのが自然で、慣例とは言えど辞任すれば黒川検事長が検事総長になる可能性があり、それを許すような検事総長であれば自らも政権忖度したことになる。そうなれば組織全体がそもそも政権に忖度するような組織であったということになります。これには私は少し無理があると思います。現職検事長は慣例を無視してでも検事総長を辞さないことで正義を守ることになると考えるのが自然です。検事総長が政権に忖度する理由も見つかりませんし、そもそも検察庁の信頼を失墜させてまで忖度する理由もないからです。
そして検察人事制度を変更するというおよそ慎重にも慎重を重ねなければならない決定を黒川検事長の勤務延長のために法律案の修正と閣議決定をしてまで行う、しかも行っても確実に検事総長になるとは限らない、というのは、検察沙汰になっている政界疑惑があるなかではありましたが、ロッキードのような官邸がからむ政界疑惑の大事件の立件を検察が抱えている事実はなく、検察に断念させるためではなかったのかと考えたところで、政権が命運を賭ける対象としてはバランスに欠ける着想としか言えません。
しかし論理としての可能性は排除できず断定はできません。一見どう見ても政権が黒川検事長を検事総長にしたくて定年延長制度を導入したように見えますが、黒川検事長を検事総長にするために法律案まで変えて閣議決定までした、というのは自然ではないと思います。であれば、内閣にはより明確な説明責任があるはずです。しかし一方で、以上は黒川=政権のいいなりを前提とした導出であって、仮にそうでもないのだとしたら、政府にとっては悪魔の証明になり、怪しさだけが残る後味の悪いものになりました。
5.勤務延長制度は検察官の人事制度に馴染むのか
本質的な問題に入りたいと思います。それは今回導入された勤務延長制度が検察官の人事制度に馴染むのかどうか、妥当なのかどうかです。導入された勤務延長制度は国家公務員制度を援用したことは既に申し上げました。しかし違いもあります。一般国家公務員の勤務延長制度は、人事院というこれも内閣から独立した組織が妥当性をチェックするしくみになっています。しかし、人事院は検察官の独立性を尊重する観点からこれまでも検察官人事には介入しないことになっていました。従って、今回の検察官勤務延長制度では、他のチェックが入らない仕組みになっています。
そこで構造的に何が変わるのかを考えたいと思います。まず、仮に全ての検察官について勤務延長が前提になる制度だと考えると、内閣が認めなければ退職する、ということになり、罷免の考え方の範疇に入ってしまいます。これは、先にも述べてきた特別の身分保障である非常に厳格な罷免制度に関わることになり、内閣の影響力が従前より大きくなると考えられます。しかし実際には基本原則は65歳です。現行制度上の一般国家公務員の勤務延長制度で、延長を目指して幹部職員全員が官邸忖度を強めているのかという視点でみれば、この見方は自然ではありません。それは、一般国家公務員のケースでの実体がそうなっていないことからも明らかです(実態上勤務延長ルールが適用される公務員は極めて限定されています)。
従って繰り返しになりますが権力の緊張関係をいかに保つのかに努力を傾注する方が健全です。一層の事、検察の人事権は内閣関与の元、人事院に移してもいいのかもしれません。いずれにせよ継続審議するのであれば更に深い議論が必要なのだと思います。
5-1.検察官OBも法律に反対しているではないか。
反対意見書では、「これまで政界と検察との両者間には検察官の人事に政治は介入しないという確立した慣例があり、その慣例がきちんと守られてきた。」とし、「今回の法改正は、検察の人事に政治権力が介入することを正当化」するものだと反対しています。
現行の検察庁法第十五条に「検事総長、次長検事及び各検事長は一級とし、その任免は、内閣が行い、天皇が、これを認証する」とあります。冒頭にも触れましたが、これだけ読めば、これまでも内閣が恣意的人事を行えることになります。しかし実際には反対する検察官OBも指摘しているように「慣例」としてされてこなかった。検察と政治の緊張関係を維持するための「知恵」(同意見書)としてです。
つまりこの法律の条文は、「内閣は検察人事に介入しない」ことが慣例ではなっているけど検察にとっては内閣に「介入されるかもしれない」という緊張関係を生んでいるということになります。そして介入されたと感じれば「介入はオカシイ」と意義を唱えることで緊張関係のバランスを保とうとすることは大変意義があります。しかし本質論として「介入はオカシイ」としているのであれば、条文の趣旨を無視した意見だということになります。
なぜこんなややこしい条文があるのかは冒頭に触れましたが、独立性が重んじられる検察官でも暴走を止めるために国民による監視が必要で、国民に選挙で選ばれる政治が構成する内閣に一義的にそれを担わせる、という構図にするためです。
検察OBの意見書にも同じことが言えます。緊張関係を保つための意見書だと理解すれば極めて妥当なものです。一方で、内閣の任免権が及んでこなかったような指摘があり、字義通り捉えるとこれは法律自体の否定であって、それこそ準司法とよばれる行政権の越権的解釈であって、本質的に三権分立に対抗する検察至上主義の考え方になってしまいます。検察官は不当な政治介入を受けないんだ、というのは絶対に正しいですし当然ですが、検察官は民主主義の根本である国民の統治を受けないんだ、とも受け取れかねない記述になっています。
反対意見書の視点は「内閣は同法改正の手続きを経ずに閣議決定のみで黒川氏の定年延長を決定した」ことへの猛烈な批判です。決して統治制度や三権分立に対抗しようとしたことではないことは明白なのだと思います(元検察官ですから)。そういう意味で、むしろ意見書は、賛否はあれど、この位の勢いで反対することで、適正な緊張関係をこれからも維持する上で重要な歴史的指摘になるのではないかと思います。従って、反対意見書は黒川問題の文脈で読み取るべきものであって定年延長制度問題の文脈で読み取ると混乱することになります。
かかる観点で改めて定年延長制度という新しい人事制度を見てみると、「内閣が定める事由があると認めるときは」は定年延長が可能とされています。これだけ読めば、従前の任免権同様、内閣が恣意的人事を行えることになります。しかし実際には「慣例」として行われてきた検察と政治の緊張関係が維持されるべきもので、これまで国民統治を受けてきた制度と決定的な齟齬があるとは思えません。注目すべきなのは、変化に伴う緊張関係の変化です。当然そうした恐れは生まれますし正しい恐れだと理解します。この緊張関係は繰り返しますが不断の努力によって保たれるべきものだと思います。
5-2.その他
ここまでお読みいただければご理解いただけたのではないかと思いますが、ついでながらその他の指摘についても触れておきます。三権分立を揺るがす事態だという指摘については完全に間違いです。司法に犯罪容疑者を送る唯一の役割ですから準司法官と呼ばれますし、一般行政組織よりは高い独立性が求められるのは当然ですが、検察庁は司法ではありません。そして、そもそも検事総長は内閣が任命することに変わりありません。最高裁判所長官も内閣が指名しますし他の裁判官も内閣が任命します。三権分立の分立は、それぞれが完全に独立しているという意味ではなく、相互にチェックするところにポイントがあります。上の例で言えば、内閣が検察官の任免権を持つけど検察官は内閣の一存で罷免されず内閣を立件できるという緊張関係です。誤解を恐れずに言えば、延長ごときで揺らぐことは全くありません。
http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_annai.nsf/html/statics/kokkai/kokkai_sankenbunritsu.htm
また検察官の独立性は担保されるのかという指摘もありました。政界疑惑追及を避けるために検察人事に介入するのはけしからん、という指摘も、人事介入というところに違和感があります。繰り返しになりますが、これまででも、これからも、検察トップ層の任命権は内閣にありますので、今回の改正で変わることはありません。出世を狙って政権にすり寄って判断が変わるようなことがあるかもしれない、という指摘は、論理的には法改正後でも制度上の根本部分は変わりません。そもそも検察官の独立性は、何で担保されているかというと、繰り返しですが、厳格な罷免制度であって検察官の身分保障です。政権に逆らったって身分は保証されます。
6.雑感
黒川検事長の勤務延長という個別問題は後味の悪い結果となっています。少なくとも政治は透明性をもっと高めていくべきなのであって私自身も努力を続けていかねばならないのだと強く思っています。一方で制度自体については明白な問題というものではなく、少なくとも時代の変化に併せた65歳への引き上げと段階的給与削減は必要だとは思います。ただ今後、廃案ではなく審議するということになるのであれば、勤務延長制度を政治サイドから企図する積極的理由は今のところ見当たらず、であれば今回の批判を十分に反省しつつ改めて法務省内部でよくよく吟味し、制度を導入しなければならない実務上の積極的理由も明確にした上で、議会に送ってもらう他ありません。