ムンクやらゴヤやら将来不安やら

「叫び」で有名なムンクの作品に「マラーの死」というのがあるのを何とはなしに思い出しました。「マラーの死」といえば、ダビッドの代表作で、どちらも強烈なインパクトがある絵画ですが、このムンクの作品には将来不安をほのめかすような気持ち悪さがあります。


(ムンク「マラーの死」:出典wikimedia)


(ダビッド「マラーの死」:出典wikimedia)

題材にあるマラーとは、フランス革命時代、急進的に革命を推し進めた革命家のリーダであり、これらの絵画は、マラーが対立する派閥の熱烈な支持者であるコルデ(女性)に、入浴中のところを殺害された事実を題材にしたものです。

で何を申し上げたいかと言えば、大原美術館の館長をされている高階さんによれば、もともと政治的な意味合いの強い題材なのにも関わらず、ムンクは、個人的な男女の愛憎劇としてマラーの死を題材に選んでおり、それが当時の世相を如実に現しているとのことです。

というのも、1900年前後の欧州というムンクの時代は、経済的には成長を遂げはしたものの、欧州列強同士の激しいせめぎ合いと、人類初となる戦争と言う大量殺戮の狭間のなか、漠然とした将来不安に包まれている時代でした。

そしてついでに思い出すのが、ゴヤという日和見主義の画家の「我が子を喰らうサトゥルヌス」という作品。


(ゴヤ「我が子を喰らうサトゥルヌス」:出典wikimedia)

サトゥルヌスとはローマ神話上の神のひとつですが(サターン)、将来自分の子に殺されるという予言に恐れ、錯乱し、子を食い殺すという残忍な神話を題材にしたもので、将来不安に打ちひしがれて狂気に陥るということだと思いますが、実に気持ち悪い。

そんな作品が思い浮かべる必要がないような時代に是非していかなければなりません。