【善然庵閑話シリーズ】サイバーカスケード

毎度のことながら、総選挙を前にしてメディアからアンケート調査が山のようにくるのですが、今日はそれについて触れたいと思います。過去にも一度触れました。今回は少し深掘りします。

思想と言うものは、どの方向に向かおうとラディカルに先鋭化する力を内在しているものなので、本来はそれ自身が虚構であることを良く知ったうえで吸収すべきものなのだ、と、かつて司馬遼太郎は喝破しました。(司馬史観は間違いだとか指摘する人もいますが、私がファンになったのは、そういうことよりも、思想の本質的力を理解していた人だと思ったからに他なりません)。

なぜ先鋭化するかと言えば、普通は思想自体は小難しく伝搬しにくいものですが、思想がラディカルに行き過ぎると、分かりやすい結論だけが独り歩きしやすいからです。親鸞が天才だと言われたのは、南無阿弥陀仏を唱えるだけで極楽浄土に導かれると単純化したからです。最近で言えば、種苗法がありました。とある影響力のあるアーティストが、巷で反対意見があることを紹介したことをきっかけに、ネット上で反対論が渦巻き、野党も中身を知っていながらその反対運動に便乗、成立は見送られました。見当違いも甚だしいということは、その次の国会で大した野党の反対もなく簡単に成立していることから分かります。

特にネットの時代、短文投稿サイトや、選挙に向けた既存メディアによる政治家に問う二択アンケートなど、政治家が思っていることを、単純化し記号化して伝えるのは、忙しい現代人にとっては手っ取り早くて分かりやすいのだと思いますが、思想を伝えるどころか誤解を生み先鋭化し、そのエネルギーは大きなうねりとなることもある。

少し前にサイバーカスケードという言葉がプチブレークしましたが、総裁選でもその力を見せつけられました。サイバー空間で同種の結論を共有する者同士が強く結合することで、次第に先鋭化し過激化し、異なる意見を一切排除するようになることです。ネットに書き込んでいるご本人達は、殆ど意識はしていないのだそうですが、受け取った人間もしくは第三者として見た人間は、ある種の恐怖感を感じるようになります。

ただその傾向は昔からあった。社会学者の筒井清忠先生の「戦後日本のポピュリズム」などに詳しいのですが、戦前と一括りにして歴史教育を受けると戦前が全く見えなくなる。筒井先生は、当時の新聞や世論や議会がどのような雰囲気であったのかを緻密に調査されていますが、それを読むと戦前昭和と言っても完全に2つにわけることができる。そして現代が戦前前期と重なるところが非常に多いということに気づきます。

丸山真男も司馬遼太郎も表面的には二値化(半か長か)表現をして時流に乗ったのかもしれません。平たく言えば極論を言ってウケた。しかしそれはご当人たちが時流に乗ることを意図したものではなかったはずです。特にサイバーという極めて伝搬性の高い媒体を手にした我々現代人は、意図しない方向に強烈に先鋭化していく可能性を十分に意識しなければならないのだと思います。

例えば選択的夫婦別姓。もし内閣府の調査に私が応えたのだとするならば、一番近いのは下記の記事で言うところのソフト反対派です。つまり仕事上困ることがないように結婚前の苗字も使えるようにするのは構わないのではないか、ということです。でも、マスコミ選挙アンケートでは「反対」と「賛成」しかない。二値化された世界に無理やり当てはめれば先鋭化するのは当然の成り行きです。それは昭和前期の世界と本質的には何ら変わらないものです。

diamond.jp/articles/-/274832?page=2
survey.gov-online.go.jp/h29/h29-kazoku/gairyaku.pdf

政治と言う生身の人間のことを扱う世界で、二値化された結論だけをもって中身の議論を飛ばし対立だけにエネルギーが向かう傾向に大いなる疑問を持っています。二択アンケートは世相を先鋭化させることを企画者には認識してもらいたいと思っています。