そして、ある条件がそろっていれば、その変換作業によって、必ず社会は良い方向に向うはずだと信じています。その条件とは、国民全員の自尊心が満たされていることです。
日本から夢と希望がなくなったと言われます。就職は、やりたい夢を実現する手段ではもはやなくなり、職場の雰囲気で就職を決めるなど、対人関係を満たす手段になっているそうです。
意欲とは、自尊心の充足です。そして夢や希望は意欲の延長線上にあるものです。従って、認められること、評価されること、つまり、自尊心の充足なくして、社会は活性化しません。
今、経済政策が、雇用第一主義になっています。もちろん大切です。しかし、本質的に自尊心の充足なくして、雇用がデフレ対策にはなりません。デフレ対策でなければ経済政策にはなりません。
企業は仕事があるときに初めて雇用し、仕事があるから自尊心が充足されます。かわいそうだから雇ってあげるのは、社会保障政策ではり経済政策ではありません。とすれば、このままでは経済は上向きません。これは論理です。
古代ローマでは、兵役はローマ市民権を有するものに課されていましたが、それは、我こそが祖国を守っているのだという愛国心と自尊心を双方充足させるものであり、そしてこれが究極の雇用対策になっていたのだ、と塩野七生さんが感嘆を込めて何かに書いておりました。雇用対策であり活性化であり愛国心の醸成でありと、ほぼ完璧な論理です。
現代の今、政府がやるべきは、将来自分の子供達に誇りをもって語れるような仕事を創ることです。