先日、とあるところで15~6才の子供たちの前で講演をしてくれないかと頼まれ、事前にその講演メモを作っていたので、そのメモをもとに、話したであろう内容を文字に起こしたものを掲載することにしました。少し違うかもしれませんが、概ね言いたかったことは入っていると思います。
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「はじめに」
みなさん、おはようございます。
本日は、歴史と品格ある場所にお招きを頂きました。こころより感謝申し上げます。
「偉い人?」
昔の人間は子供に、偉くなれ、ってよく言いました。余談ですが、私の親父は全く自由放任主義でした。ただ、自由にしていいけれど、全部自分で責任を持て、そうやって育てられました。ただ、周りには偉くなれと言う人がいました。その時にこれを聞いて、偉いってなんだよと思っていました。偉いって、肩書とか社長とか医者とか。そういうもんではないだろうと思っていました。そういうのではなくて、現在進行形の、何か人のために努力している、動いている、行動している、そういう動的なこと、偉いというのは、そういうことなんだと私は思っていました。そして今でも思っています。
当たり前ですが、社長は経営はできても職人にはなれない。逆に職人は世界最高のものは作れても、経営はできないかもしれない。私は政治家で、税金の議論はできても、赤ん坊のご飯は得意ではないし、大手前の教員にもなれない。現場に行けば現場の人が偉いんだと思うんですよね。司、司と言いますが、全員が協力して社会が成り立っています。
子供の頃、とある人が、とある建物を指さして、あの建物は、あの政治家が作ったんだ、と言ったことがありましたが、何か大きな違和感を覚えました。予算をとってきたのはそうかもしれませんが、現場で作業する人がいなければ、作れない。そして、その現場で働く人を陰で支える仲間がいなければ作れない、そう思っていました。そして、そうした関係者の全員が、同じ意識を共有できたときに初めて、素晴らしい結果を生むんだろうと思います。
1960年代、アメリカで人類を月に送るアポロ計画が進行しているときの話ですが、ジョンソン大統領がNASAのケネディー宇宙センターに訪れた時、ビルメンテナンスの作業員に、「元気かい、何やってるんだい」、と挨拶したところ、その作業員は、「人類を月に届ける仕事をしています」と答えたそうです。職員全員の間で、完全にビジョンや意識が共有されている。だからあれだけの偉業が達成できたのだと思います。その時は、NASAの長官がそうしたNASA関係者全員の意識と雰囲気を作ったのだと思います。
「医者になりたい理由」
今、理系の道に進もうとする生徒さんで、お医者さん希望というのが多いって聞きます。いいですよね。本当に人を救いたい、助けたい、その気持ちは本当に大切だと思います。ただ、とあるアンケート結果を見て愕然としたことがあります。医者希望の高校生にアンケートを取ったら、その理由の1番目は、収入が安定しているから、2番目が親が薦めるから、3番目が学力を試したいから。動機はある程度何だっていいのかもしれません。生業(仕事)というのは、もちろん生きていくためにもやらなければいけない。でも、社会と言うのは、司司の話をしましたように、一人では生きていけないし、お互いの助け合いが必要です。そしてその原動力は、頼られたい、頼りにしてほしい、という気持ちであって、それを通じて関係者が全員満足し、頑張れる、というものだと思っています。そしてそういう雰囲気や意識を共有できるのが最高なのだと思います。病院であれば、関係者全員がそうした意識を作れるようになればと思います。
「世のため人のため」
子供の時、実は政治家なんて嫌いでした。だいたいイメージが良くない。ドラマに出てきても、大抵は政治家は悪役ばかりですよね。更に、息子はとんでもない息子ばかり。私はむしろ、コツコツとモノづくりをする方が好きでした。だから、理系を選択して、大学も理系の大学に行きました。ただ、何か人の役に立つようなことがしたかったのは今でも覚えています。そして、高校の時、宇宙開発のドキュメンタリーを見て、衛星を作ろう、そう思い立ちました。
「湾岸戦争」
ところが大学4年生のとき、湾岸戦争というのが起きるんですよね。1991年。イラクが突然クウェートに侵攻しました。今、ロシアがウクライナに突然、侵攻しましたが、同じように突然やってきました。その当日、私は大学の研究室で実験に明け暮れていましたが、休憩時間に部屋に置いてあったテレビを付けたら、夜空にせんこう弾が飛んでいた。当時は世界で初めてのリアルタイムでの紛争地帯の中継でした。クウェートのお母さんが、赤ん坊を小脇に抱えながら逃げ惑っている姿。皆さんは、どう思いますか?皆さんは、今はもう大きいですが、仮にもっと子供だった時に、皆さんのお父さんやお母さん、あるいは親戚の方が、皆さんを両脇に抱える姿を想像できますか。当時は、今、まさに地球の裏側で起きていること、でした。本当に強い衝撃を受けました。
「国は何をしてくれるのか、国民は何をすべきなのか」
国と言うものは、国民にとって何をしてくれるのか、国民にとって何ができるのか、とても真剣に考え始めました。意識しはじめたんですね。就職は、当然、自分の夢である衛星を作る仕事に熱中していました。朝起きれば懸命に働きました。昼間は、微分積分を解くのに苦戦していました。衛星の軌道を計算し、適正な温度に保つための仕組みを模索しました。打ち上げの振動で精密機械が壊れない仕組みを模索しました。ただ、夜中は、憲法、国際法、歴史、経済、そういった社会の仕組みを知れる本を読み漁っていました。国が国民に何をしてくれるのか、国民は何をすべきなのか、裏で模索しつづけました。
「政治の世界に飛び込む」
転機が訪れたのは、親父が防衛庁長官になったときでした。国と言うものはどういうものであるべきなのかという私の長い問いの答えが見つけられるかもしれない、そう思い、自ら申し出て、その政治の世界に飛び込みました。防衛庁長官ってどんな仕事だか分かりますか?一言で言えば、国を守ることですが、人の役に立つ、という意味で究極の仕事だったんですね。そして、仕事を実際にやっているうちに、政治と言うものの本質が、先ほど触れたジョンソン大統領ではないですが、社会全体のあるべき方向を示す仕事なんだということが分かってきました。国とは何かということですね。本当のやりがいを感じました。私の心に新しい夢が芽生え、政治家を目指すことにしたんです。
「国会議員の仕事」
国会議員の仕事は、主に法律を作って、社会の課題を解決することです。学校の先生の人数は何人が適切なのか、道路の整備は十分なのか、病院に行ったときの患者負担は適切なのか。皆さんは、今、親御さんの扶養のもとで暮らしています。社会との接点は、すべて扶養者である親御さんを通じたものになるため、ピンとこないかもしれません。しかし、社会に出た時に、大学に行く人は学費はどの程度が適切なのか、ガソリン価格は今高すぎないのか、バイト料の最低賃金は適切なのか、社会人になったら給料をもらうことになりますが、税金は適切なのか、そうした様々な課題があります。それらは、誰かが決めているわけで、それは皆さんの代表として我々政治が決めています。だから、無関心ではいれますが、無関係ではありえません。このことは、今日のお話の最後に触れたいと思います。
「コロナ」
今、皆さんは、コロナによって、それまでとは違った学校生活を余儀なくされているのだと思います。コロナが発生した最初の年。私は日本がおかしくなったと感じました。気遣いじゃなくて、いがみ合い。大変残念に思いました。しかし、今は当時と比べればはるかに落ち着いたように思います。そして、今は、コロナで困っている人に、自転車で食べ物をボランティアで届ける活動をしている学生さんがいるという話を聞きました。そうなんです。日本人の本来の力が蘇ってきたのだと思います。東日本大震災の時、多くの若者がボランティアを申し出てくれた。何か自分でできることはないか。そういう思いが日本を包んだ。そしてその日本人の力強さは、世界から賞賛されたんですね。ECONOMISTというイギリスの雑誌の表紙を飾ったこともあります。
「ソーシャルベンチャー」
日本の素晴らしいところは、昔から社会の役に立ちたいという人が多いことです。そして、昔は国の役所、財務省や厚生労働省に努めたいとか、そうでなくても、県庁や市役所、あるいは百十四銀行や四国電力みたいに、公的な役割を担っているところに就職するのが、優秀だとされました。しかし、今は、そういう公的機関でなくても、社会課題の解決を目指す会社が増えてきました。やり方が変わってきました。社会に役に立ちたいと言う思いを実現するのに、必ずしもそういう大きな会社や組織でなくても、実現できるようになってきました。ソーシャルビジネスという部類の会社ですが、私はこれは世界から賞賛される日本人の気質だと思います。皆さんも、自信をもっていいと思います。
「安倍晋三」
最近、私にとって、表現もしようのない、心に穴が開くような、そういうショッキングな出来事がありました。安倍晋三元総理大臣が凶弾に倒れました。無念でなりません。心からご冥福をお祈り申し上げます。意外かもしれませんが、映画好きだったんですよ。星野源を聞いたり、YOASOBIを知っていたり。NETFLIXマニアと言ってもいいと思います。だから話題も豊富でした。
今、YouTube上で、安倍総理の近畿大学卒業式でのスピーチが注目されているらしいんです。若者に対して、チャレンジする大切さを語った5分くらいのスピーチなのですが、これを見たら分かるのですが、安倍総理がどういう人だったのかというのが歴史上評価されるとしたら、私は、日本人に自信をもっていいんだ、ということを伝えたかった総理大臣だったんではないかと思っています。
「政治への関心―ウクライナ大臣」
最後に、政治への関心について、お話します。正直、政治に関心を持たなくても、生きていける、それが日本です。海外の、国の骨格もが脅かされているような国では、政治に無関心な住民はほとんどいません。台湾でもアメリカでも、若者がものすごい大きな政治的関心を持っています。政情不安定な国も皆政治に強い関心をもっています。政治に関心が薄いというのは、日本が平和だということでもあり、結果として絶対悪いわけではありませんが、関心が薄いのが続くと、国の行方が危ぶまれるのだと思います。民主主義自体を守るためとも言えるんだと思います。
先ほど、ウクライナの話を少ししましたが、先月、ウクライナ人とリモートで話す機会がありました。ウクライナの教育大臣です。メモをとったので、紹介させて頂いて、最後の締めくくりとしたいと思います。
「数百万人の国民が避難しています。この状況に慣れてはいけないと思っています。この国の戦後に希望をもたらさなければならないと思っています。多くの国から支援を頂いて感謝もしています。戦争が始まって110日が経ちましたが、ロシアの一方的な侵略で多くのウクライナ人が故郷を追われました。多くの教育研究機関が破壊され、その数は2000以上、全体の15%にあたります。多くの子供たちから教育が奪われています。とてつもない国力の喪失です。世界食糧危機や環境にも深刻な影響をもたらしています。教育研究機関は国力の源泉です。危機的状況ですが、我々は前進し続けます。戦争が終わったら教育インフラを回復していきたいと思っています。戦中であっても回復の努力を続けます。今でも学校で授業は続けています。ただ、例えばスクールバスや教科書など不足しているものがあります。ウクライナを追われ海外に逃れた人々にも支援の手を差し伸べたい。国の将来の為、産業やイノベーションにも力を入れたいと思っています。国が再度立ち上がるためには教育機関は不可欠です。どんな支援でも構いません。どうか支援をお願いします。改めてウクライナの大臣として、一市民として、そして子供を持つ親として、各国の支援に感謝しております。私はもともと田舎の教員でした。世界の支援があるから今があります。教育インフラを立て直せなければ、戦いの意味もありません。」
国の未来を考えるこのウクライナの教育大臣に心からの敬意を表し、終わりたいと思います。ご清聴ありがとうございました。