メディアマッチポンプ

新幹線でお馴染みの雑誌Wedgeに興味深い論稿が掲載されていました。詳しくは下記をご覧頂ければと思いますが、震撼させられると同時に大いに賛同できる論旨です。大まかに言えば、東京新聞が、葛飾区発行広報誌に使われたイラストに対して市民から戦争を想起させるとの抗議が複数届いている、と報じたことを巡り、実際には大して話題にもなっていないことを、メディアがマッチポンプのように社会問題化させているのではないか、ということを問題視した論稿です。

https://wedge.ismedia.jp/articles/-/37850?layout=b

「社会問題を取材したのではなく、自ら社会問題にしようとしたのではないかと思えてしまう」。政治に身を置いていると、毎日とは言いませんが、確かにそうした事例だと思わざるを得ないことに接する機会が多いのは事実です。

論稿の著者のことは私は存じ上げませんが、過去の記事を見ると、メディアの在り方に注目していることが分かります。曰く、例えば原発処理水も、汚染を印象付ける報道を各社が繰り返し、その結果、巨大な社会問題と化して、外交課題に発展し、莫大な社会コストを払ったことは、ご存じの通りです。加えてこのケースは、論点が「汚染」「危険性」から徐々に「人々の不安」「合意形成の不備」などにシフトしていったと指摘していて、見方によれば、注目が集まりさえすれば徹底的に吸い尽くす、社会問題化によるマネタイズ、若しくは政治的煽動と思えなくもありません。

考えてみればSNSも、コンテンツの質よりも注目度が収益化されるアテンションエコノミーですが、そのルーツは既に既存メディアでも見られるということであって、違いは収益化しているのが既存メディアか一般ユーザかの違いであることが分かります。だからこそ、既存メディアは収益構造をSNSに奪われないために、SNS政策に注目しているということなのだと理解しています。

既存メディアは「質」を追求すべきなはずです。そもそもメディアは、政府との関係では、政府を監視すべきは当然で、そのため記者が政府に対して常に疑問を持つのは重要なのですが、疑問のまま事実確認をせず、その事実確認の代わりに「声が上がっている」「不安が殺到している」「署名が集まっている」と他者の声を代表せんと言わんばかりに「疑問」だけを提起するのは簡単で、こういう結果を生みやすい。

例えば「〇政策には〇万筆の反対署名が集まっている」というような記事を見かけることがあります。政策に対する「疑問」だけが印象に残るはずです。しかし〇万筆というのはエビデンスですが、〇政策の反対すべき事実確認ではありません。一方でこれに反論を試みますと、そもそも主要紙が引用する署名サイトのアカウントは中国やロシアなどの外国人アカウントが多いと言われています。どうでしょうか。反論の骨子が目立つはずです。これは私が事実耳にすることですが、事実確認はしていません。「言われる」だけです。簡単に空中戦になり、壮大な社会コストが発生します。

他者引用するなということではありませんし、社会問題化するなということでもありません。問題の核心は、他者引用が極めて簡単であるがゆえに、社会問題化することが簡単にできてしまい、その動機がマネタイズや政治的煽動なら全くもって忌避すべきことではないでしょうか。社会問題化をするなら事実確認が必ず必要だということです。さらに問題は、こうした事実確認なき社会問題化の結果として生じる回復のための社会コストは、結果的に国民が負担することになることです。そして、この国民が払った社会コストはメディアに回収されているというメカニズムになります。

そもそもSNSの時代、偽情報(偽と分からない流言飛語の類)がネット空間に飛び交い、ネット依存が高い人にとっては特に、フィルターバブルやエコーチェンバー現象によって、何が真実なのか見えにくくなっています。偽情報は民主主義の根幹さえ揺るがしかねない問題です。であれば既存メディアは、国民が参照して情報健康度を維持できるようコンテンツの「質」を徹底追求すべきですし、そうした社会的要請を十分に認識した上でコンテンツ提供には大いなる自覚と責任が求められるのだと思います。