秘密保全と情報公開について

新聞紙上などで政府が検討を進めている秘密保全法の是非をめぐって時々議論が起きています。国家秘密の取り扱いについては、何回か取り上げてきましたが、私もその必要性を実感していますし、党内の会議で何度か必要性について発言をさせていただきました。議員初めての国会質問でも予算委員会で質問させていただきました(リンク)

まず第一に、反論があるのは政治に対する不信感であろうかと認識しております。かねがねお訴え申し上げていますが、政治が何かをするにあたって信頼が無ければ何もできません。であるならば、政治は謙虚さ真摯さを失ってはなりません。ここは絶対に自らの肝に銘じておかなければならないと思っています。

第二に、テクニカルな問題としては、国家秘密とは何か、その定義です。たとえば原発をめぐる情報を国家機密指定されてしまったら、国に都合の悪い情報が隠される可能性があるなどの危惧です。

第三に、しかし考えなければならないのは、国際間の信用です。例えば、外国が日本に対して機密事項を提供し、それが日本国内で公知されたとします。いったい次は情報提供をしてもらえるのか、日本という国は信用してもらえるのか、そういう問題です。

第一の問題はさておき、第二の問題は基本的には情報公開とセットで進めるべき課題であると認識しています。米国にはFOIA(Freedom of Information Act)という情報公開法の中で情報保全を謳っています。つまり、秘密にするけど、それは何年程度秘密にする事項であって、その期間が過ぎたら、こういうルールで公開しますよ。そして秘密指定に問題があれば歴史が断罪しますよ、という立て付けになっています。

2010年の当ブログの記事「『密約に想う』に想う」でも触れましたが、FOIAにならって尚一段と情報公開のルール作りを議論する必要があると思います。

第三の問題については一例を挙げたいと思います。以前、外国籍潜水艦が日本近海で火災を起こして浮上し、母港に帰還したという事実と言われる記事が新聞に掲載されました。当時、戦後初の防衛機密の漏洩と言われましたが、なぜそうなるのか。

もう一度前出の文章をお読み頂ければと思います。ぴんと来た人は鋭い。普通は、へー日本近海に潜水艦がきているのねぇ、怖いわねぇ程度だと思いますが、ポイントは、なぜ火災と分かったのか、という問題です。もしかしたら、暗号通信傍受であったかもしれませんし、もしかしたら、米国からの情報提供であったかもしれませんし、いずれにせよ、平然と公知されてしまったら、今まで脈々と築いてきた情報収集手段をその外国に知られ、もはやその手段は使えなくなっているのかもしれません。これはあくまで勝手な想像ですが、可能性は否定できません。これこそ国家予算の壮大な無駄遣いではないかと思います。

憲法改正の議論でも、単独の法律案の議論でも、これからしっかりと議論していきたいと思います。