【善然庵閑話】ヴァリャーグが結ぶ中国とウクライナの稀有な関係

今日、英国王立防衛安全保障研究所というシンクタンクが主催する講演会に参加をさせていただきました。19世紀の宰相パーマストン卿の「大英帝国には永遠の友も永遠の敵もない。あるのは永遠の大英帝国の国益だけである」という言葉の引用から始められた石破幹事長のご高話は、地政学の祖であるマッキンダーを髣髴とさせる地政学観点から見た日英同盟のあり方を浮き彫りにする内容で、改めてなるほどと頷かされました。

ところでヨーロッパの歴史を学ぶとその複雑さが故にヨーロッパを感覚として理解するのはなかなか難しいのではないかと思わされます。そしてそれを書く勇気は私には到底ありませんが、一つの切り口だけを辿るのもたまには面白いなと思い、司馬遼太郎風に散文的に書き綴っておきたいと思います。エッセーなので久しぶりの【善然庵閑話】シリーズです。

ところで最初から脱線して恐縮ですが、この研究所の略称はRUSI(ルーシ)というそうな。ルーシと言えば、このRUSIとはまったく関係ありませんが、現在のロシア、ウクライナ、ベラルーシの共通の祖国である8世紀ごろに誕生した古代ルーシ。そのルーシ国家の建設は北方のバイキング達が携わったようで、バイキングのことをロシア語風に言うとヴァリャーグになります。

そしてヴァリャーグといえば、中国がウクライナから購入した空母もこの名前で、ソ連時代に設計されたもの。そして、この名前がついたロシア製軍用艦は実は3代目。そしてその第1代のヴァリャーグが辿った歴史が実に面白い。ロシアがアメリカに発注して作った戦艦なのですが、日露戦役で日本艦隊に包囲されるも艦長は降伏せず、勇気を持って突撃した上で自沈を選ぶ。その後日本軍に引き取られて宗谷という名前で日本軍によって運用され、第一次大戦後にロシアに返却されるという非常に稀有な経歴をもつ船です。こうした背景もあって、ヴァリャーグという名前はロシアでは相当英雄視されています。

初代ヴァリャーグが日本に接収されたことがあるという史実を中国が知った上で同名の空母を調達したのだとしたら中国恐るべしであり大したものですが、それはさておき、このヴァリャーグの運命はロシア革命に伴ってイギリスに抑留されたところで解体されて終わる。

イギリスと言えば、現在の最大の構成国はイングランドですが、その住人のルーツは、その名前が示すとおりアングル人。このアングル人というのはもとを正せば欧州本土にいたヴァリャーグ人のルーツでもある北部ゲルマン人。結局、戦艦ヴァリャーグは稀有な歴史を辿って、名前の由来の土地に着底したことになる。

そして更に言えば、アングル人がイングランドに渡った結果何がおきたかと言えば、もともと住んでいたブリタニカのブリトン人が追い出されて、逆に欧州本土に移住した。移住した先は現在のフランスであるガリアであり、そのため地名もブリトン人の土地という意味のブルターニュ地方になった。で、アングル人がイングランド(ブリタニカ)に侵攻せざるを得なくなったのは、西ローマ帝国滅亡の一因となったアッティラ王率いるフン族が4世紀から5世紀にかけて東方から流入してきたためで、そのフン族のルーツは中国北縁のモンゴルだったりします。

ウクライナ情勢が相変わらず不安定です。フン族アッティラ王が現在の国際情勢を見たら何と思うかと想像してみても何の答えにもなりませんが、ルーシ人の末裔かもしれないウクライナが持っていた空母ヴァリャーグの艦上で、フン族の末裔であるかもしれない人民解放軍将校がブリトン人の末裔かもしれない人が作ったブルターニュ産のミュスカデでも飲みながら、アングル人の末裔かもしれないイギリス人を横目に見ながらバルト海やら黒海でも航行しようものなら、クリミアの先祖はさぞかし複雑な思いをするだろうと想像したりしています。