原爆死没者慰霊碑と恒久平和の誓い

忘れてはならない夏があります。

先日、同期で広島選出の中川俊直代議士の会合にお招きいただいた際に、平和記念公園に立ち寄り、原爆戦没者慰霊碑に向かい、献花をして参りました。過去に何度か伺っていますが、靖国神社と同様、できれば毎年伺いたいと思っている場所でもあります。

核兵器開発の議論くらいはすべきだ、と考える人も僅かながらいらっしゃいますが、これは理性で考えても(国際政治上の安保戦略)、情として考えても(核被爆国)、間違っているわけで、今日はそのことについて触れておきたいと思います。

まず私の立ち位置ですが、私は現在、党の国防副部会長であり、能力は別にしても安全保障政策には高い関心を持っています。限定的集団的自衛権の行使を可能にした昨年の一連の法律についても、党内議論の時から自ら参加し、衆議院の平和安全特別委員会の委員として質疑も致しましたし、自らの意思で賛成票を投じました。現在は、デュアルユースの可能性も追求したいと考えていますし、防衛装備品の海外移転についても、経済上ではなくて安全保障上国益に叶うものであれば戦略的に促進をしていくべきだと考えています。全ては平和のための必要最小限の自衛のためです。歴史上、紛争はパワーバランスが狂ったときに生じます。環境に応じた自衛力を持つべきなのが現実です。あくまで目的は恒久平和です。

まず理性の話ですが、国防費を3倍にし、日米同盟を見直し、個別自衛権のみを基本とするような、世界の流れに完全に逆行するような方針をとったとすれば、核兵器の議論をすることも視野に入ります。しかし、その前提はまったくもって現実的ではありません。逆に言えば、核を議論すると言った時点で、米国の世界安保戦略は方針転換を余儀なくされ日米同盟は破棄、日本の安保戦略は根底から変更せざるを得なくなります。さらに言えば、核兵器開発の疑惑をもたれている国への核拡散抑止力が低下し、また周辺国に侵略の意図ありなどと全く誤ったメッセージを送ることになり、日本は間違いなく国際社会の信用を失います。松岡洋右を再度生んではなりません。

次に情の話ですが、核兵器開発議論賛成論者のほとんどは、なんでアイツが持ってて偉そうな顔をして、オレは持っちゃいけないんだ、そんな弱腰でどうして国防ができるのだ、どうして自分の国を自分で守っちゃいけないんだ、というものだと思います。日本は言わずと知れた唯一の核兵器被爆国です。まずもって犠牲になられた方々の御霊の前に立ち、またそのご遺族の方々、そして被爆者関係者を前にして、どうして核兵器開発などと言えるのでしょうか。

広島平和記念資料館も訪問しました。毎回展示が新しくなり、未だに現在進行形であることに胸が熱くなります。

黒い雨の跡が残った壁、2歳で被爆し12歳で白血病で亡くなった佐々木禎子ちゃんの折った折り鶴、人型に熱線の影響が残った建築物の一部、皮膚がただれポーチのようになっている被害者の姿を映した当日の写真、薬局の長男坊である伸ちゃんの三輪車、18歳の乙女の抜け落ちた髪の毛、体内から取り出されたガラスの破片、焼けただれた皮膚を描いた被爆者の描いた絵、焼け焦げた乳飲み子を背に背負い歩く母親の絵、どれもどれも、とても言葉では伝えられないほどの悲惨さが脳裏に焼き付きます。館長さん曰く、まだまだ未発見の資料は存在するらしく、現在でも収集活動を行っているとのことでした。

昔、初めて訪れたとき、確かピカドンというアニメが上映されていたように記憶しています。最近では、あまりの強烈な映像に子供がショックを受けすぎるという理由で放映していないようですが、悲惨さを伝えるという意味においては、少しデフォルメするとしても、再開しても良いのではないかと思います(恐らく上映中止に当たっては多くの議論があったのだと想像できます)。

賛成論の方々には、誠にお忙しいとは存じますが、是非、毎年訪れて慰霊碑の前で献花して頂き、平和記念資料館に2時間でもお立ち寄り頂ければと思います。

恒久平和。そしてその為の現実的な安保政策。是非実現したいと強く思うものです。これは決して私の愛娘の誕生日が8月6日だからという訳ではありません。

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