NHKドラマ「坂の上の雲」(司馬遼太郎)にも登場する正岡子規は俳句の世界に革命をもたらした俳人として有名ですが、正岡子規を財政的に支援し続けたのは、新聞社を創業し主宰したジャーナリストの陸羯南(くがかつなん)です。お蔭で陸は俳句の世界では大変尊敬されているそうですが、主張の清さや一貫性については後代の進歩的思想家である丸山真男も、主義主張が正反対であるにもかかわらず陸を高く評価しています。
そして、その陸と並び称される同時代の人物に、徳富蘇峰(とくとみそほう)がいます。徳富蘇峰はもともと平民主義でしたが、三国干渉に際し政府の対応に激怒し、以降、国粋拡張主義に転じていき、政府の対応を弱腰外交と批判しつづけます。ところがその後に内閣参与を任命され、政府批判を極端に弱めます。ポーツマス講和条約締結後に小村寿太郎全権が、諸外国からは絶賛されながらも、国内からは弱腰と見られ、それを批判もできない徳富蘇峰はもっと大いなる批判を浴び、主宰していた新聞の不買運動や日比谷焼き討ち事件で狙われたりしています。
この徳富蘇峰の急激な方向転換は当事しばしば「変節」扱いされました。タイトルの「説を変ずるはよし、節を変ずるなかれ」という言葉は、田岡嶺雲が徳富蘇峰に向けて放ったものです。
保守主義であろうが社会主義であろうが、主張には清さや一貫性を保ちたいですし、説が多少状況によって変わろうとも節はコロコロ変えたくないものです。
今日は、野田首相が大飯原発の再稼動に向けた方針を打ち出しました。私は野田総理はこの部分については(正確には知る由もありませんが)節は一貫していたのではないかと思っています。