ウラジ・ヴォストーク(東方征服)

 明治維新の約100年前、大黒屋光太夫(だいこくや・こうだゆう)という船長が駿河沖で暴風雨にあい、カムチャッカ半島近くの島に漂着。数年の後にカムチャッカやシベリア、帝都ペテルスブルクを経て、晴れて帰国の許を得て日本に帰着しています(井上靖氏の「おろしや国酔夢譚(すいむたん)」に詳しい)。

 光太夫は、結局トップの女帝に直談判して初めて帰国を許されたのですが、シベリア総督をはじめ、なぜ地方官吏は光太夫を日本に返したくなかったかと言えば、その当時のロシア為政者の意識が既に「ウラジヴォストーク(東方征服)」にあったことが背景にあります。つまり、当時既にペテルスブルクをはじめ、イルクーツクなどには日本語養成学校があり、漂着日本人にはその講師となってもらうべく、帰化を求めていました。日本との交流が殆どなかったにも関わらず日本語学校維持に躍起であったということは、後の時代の不凍港を確保するためという動機以前の問題として、ロシアの東方への関心が如何に高かったかを物語っています。

 光太夫のころから遡ること80年前には既に、ペテルブルクにロシア初の日本語学校が勅令でできているのですが、その教師は大阪出身の漂着帰化者でした。ロシアで教えられた初めての日本語が大阪弁であったという冗談のような記録が残っています(司馬遼太郎氏:街道をゆく~モンゴル紀行)。
 そして現在、為政者メドベージェフ大統領がヴォストーク(東方)の北方四島に乗り込んでまいりました。ロシア語訛りの大阪弁の逆輸入くらいであればいいのですが、そんなわけはありません。

○ロシアが北方領土を欲しいわけ

 では何でそんなにロシアは北方四島が欲しいのか。ロシア政府自身がいろんなことを言っていたり、また種々の人が種々の分析をしていることから分かると思いますが、実は明々白々な理由は見当たりません。以前、ロシア大使経験者の日本人外交官に同趣旨の質問をしたら、要らなくはないから、という答えが返ってきました。つまり理由を挙げると、1.将来の対日交渉上の外交カードに使うため、が主目的であって、2.安全保障上の問題(4島とも日本だとしたら船舶はかなり迂回しないといけないなど)、3.水産・燃料などの資源確保、が続く理由だということだと思われます。ただ、2.3.の理由は、1の交渉を有利に展開するためにくっつけているようなものです。

○ロシアの国内事情~投資と返還~

 ロシアは石油や天然ガス資源の生産を積極的に拡大し、それを外交カードにしてきました。しかし埋蔵量に比べてあまりに生産を拡大させ過ぎているため、枯渇の時期も早いといわれています。過度に埋蔵資源に偏った経済運営をしているために、よりハイテクなどの産業にシフトしていくことが政権のテーゼになっています。そうした理由も相俟って、ロシアは積極的に海外からの投資を呼び込むことに躍起になっています。しかしながら日本からの投資はそれほど多くはない(全体の1%弱が日本からの投資)。橋本・エリツィン会談から始まって、日露間の貿易促進は何度となく行われていますが遅遅として進んでいません。

 日本としては、歴史上一度もロシア領土でなかった北方四島を戦後に無理やり実効支配しておいて、平和条約を結ぶこともなく、返すこともなく、今に至っているような旧東側の国、ということで対露不信が強い。強いから積極投資など進んでできるものではない。一方で、ロシア側にしてみれば、前述したとおり、何か外交上のカードに使えるだろうと思っており、ここ10年ほどは投資を条件に北方領土(2島だけ)を返してもいいかなと思っていたけど、どうやらこの国(日本)は全然そのつもりはないんだな、ということで膠着状態にあったというのが現状だと思っています。

○失敗に次ぐ失敗

 変化は日米間の関係が普天間交渉によって揺らいだところから始まっていました。失敗の予兆となる出来事です。民主党は普天間移設先を最低県外としていたため、政権交代直後にアメリカの日本担当官から不信をかっていた。そこをすばやく察知していたのはロシアでした。

 そして失敗のその1は、政権交代直後の前原国交大臣による「北方領土は不法占拠されている」という発言です。交渉中の案件に所掌外閣僚が横からぐさっとナイフをさしてきたようなもので、交渉担当の面目は丸つぶれです。(ただ、前原大臣が対露強行戦略の第一歩として発言されたのならば問題ではありませんが、その後は何ら強行的な戦略性は見受けられません)

 失敗その2は、メドベージェフ大統領が対抗措置として、北方領土に積極投資をして開発を進めるという発表をしたのですが、それに対して何らの措置をとらなかったこと。ここでとるべき措置は、官房長官の会見で「そうした発表がなされたが、【我が国】に対する投資を歓迎する」とすることで良かったのだと思っています。

 失敗その3は、ロシア連邦議会による対日対抗措置であった、9月2日を対日戦勝記念日として制定するという事件に、これまた何の反応も示さなかったことです。考えればすぐわかることで、9月2日とされたのではロシアの北方領土編入に正当性を与えてしまいかねない。ここは当然、議会で可決する前に強烈な反対運動を展開すべきでしたし、その時点で国際世論にも訴えていくべきでした。

 失敗その4は、尖閣問題発生直後に日本の外交力低下に確信をもった大統領が北方領土訪問を発言するのですが、それに対して、前原外務大臣が「来たら大変なことになる」との趣旨の発言をしたことです。外交上は、当然、先にも述べたように、「【我が国】への訪問を歓迎する」ということで、歯舞か色丹で首脳会談の提案をすればいい(択捉か国後だと、先方の面目が潰れすぎる)。
 失敗その5は、大統領の国後訪問後に前原大臣が在ロシア日本大使を呼び戻しているのですが、前述の「大変なこと」には全然なっていなくて、召還後にもロシア政府は全然問題ないっすよ、と言っています。やるなら「在京ロシア大使の退去」ではないでしょうか(これは国交断絶になりますが)。
 さらに・・・と続けるとまだ2つありますが、少し細かいので、あんた細かいの、と言われると困るのでやめておきます。

 何れにせよ、以上の5つの失敗をご覧になって気付かれると思いますが、それぞれ1つ1つは、それぞれが直ちに失敗というわけではありません。問題は、哲学理念が政権内にないのか、対処に一貫性がなく、議論されたものだとは到底思えないことにあります。

 中国やロシアは、ここ10年、経済発展を背景に帝国主義外交を展開しています。強行に押して押して、相手が強行にでてきたら、ようやく交渉に入る。それを考えると、日本は、自民とか民主とか言っている場合ではなくて(マスコミがこれを煽る)、日本と言う国の国民として、考えなければなりません。

 先日、町村信孝先生が来県されました。参議院の磯崎先生の主催する会に参加するためですが、外交について、外務大臣の顔を潰さないように内密にアドバイスをしに行かれたそうです。結果は完全に無視だったそうです。もう少しゆとりを持って欲しいものだと思います(自民党内には、○○大臣経験者会議なるものがあって、そこで過去の経験が蓄積されていくのだと思いますが、政権が交代するような時代、こういう経験を何らかの形でストックする知恵を持たないといけないなと思ったりしています)。