トランプショック

言うまでもなくアメリカは、日本にとって極めて重要な国であり、今後も同盟国として緊密に連携すべきは当然です。一方で、トランプ政権の荒療治で、我々はどこに引きずり込まれるのか、見通し難い状況となりました。関税操作はディールのための一時的なものとの憶測もありますが、トランプ政権の公約に多くのアメリカ人が賛同していることを考えれば、関税への言及については、実際に実施するかは別にして、政治的に簡単に引っ込めるはずはありません。そして実際に実施するとなると明らかに返り血を浴びるので、慎重になるはずだと考えるのが普通です。

実際に、これだけの規模の関税ですから、アメリカにとっての返り血は巨大で、産業構造や国際収支に現れるのみならず、金融市場にまで混乱を与えます。追加関税の発表で株式・為替・債券のすべてが売られ、世界で10兆ドル以上蒸発したとされています。債券売りが90日延長判断に繋がったと言われますが、特に債券市場の混乱は金融市場全体の、そして世界全体のシステミックリスクにつながりますから、90日後に同じことを実施するとは到底思えない、と考えるのが普通です。ちなみに翌日にたまたま会った金融庁幹部が、市場動向を夜通し注視し、目を真っ赤にして国会答弁に臨んでいたのが印象的でした。それほど巨大な危機であったはずです。

しかし、トランプ政権の真意が全くわからない。今後、仮にトランプ関税が金融市場を混乱させない上手な方法で実施されたとして(できるかどうかは別として)、更に仮に中国との覇権争いの文脈で、勝てるうちに勝ちに出た、と見れば、勝てるまで何らかの言及を続けるでしょうし、これまでの発言通り自国産業の保護だ、と見れば、単に産業構造シフトになるだけで、全体がプラスになることはなく、混乱のうちに言及は収束するように思います。

いずれにせよ何がやりたいのかの真意が分からないので、何もしようもない気もしますが、何れにせよ自由貿易秩序への挑戦となることは間違いなく、歴史が物語っている通り、経済秩序の転換は、安保秩序を含む国際秩序の転換につながる可能性すらあります。それだからこそ、我が国には、より一層、米国を始め各国と、緊密な連携とコミュニケーションが求められます。

改めてこのトランプ関税について、国際秩序、国内経済、関税交渉、の3点で見ていきたいと思います。

■国際秩序~新しい貿易管理の仕組みを

そもそも貿易はWTOによって国際管理されています。当然その理念は自由貿易です。歴史をたどれば、第二次大戦は世界のブロック経済化(関税応酬)が対立の起点であり、だからこそその反省から、終戦間際に連合国らによって構想されたのが自由貿易協定のGATTです。そしてWTOはその流れで設立されました。これが国際通貨基金(IMF)と並んでアメリカ中心の経済秩序ブレトンウッズ体制を構成することになり、更に軍事力と並んでパクスアメリカーナを形成します。

ところが、WTOが機能不全に陥ったのが2019年の年末ごろ。中国の不公正な貿易慣行に応えていないとの理由で、アメリカが紛争解決を行う上級委員会の委員選任を拒否したからで(WTOの紛争解決システムは2審制で、1審目がパネル、2審目が上級委)、その後、MPIAという暫定処理の仕組みはできたものの、機能不全は決定的になっています。

ただ機能してないからと言っても、本質的には自由貿易は2つの意味で理念として正しいはずです。第一に、経済の安定と成長のためです。かつて経済学者のリカードが比較優位論を主張したように、それぞれの国がそれぞれ得意なことを担って、お互いに特異なものを融通できれば、全体的に発展する、というのが本質的なポイントです。アメリカは歴史的にはそのメリットを享受してきたわけですが、中国が2001年に加盟してから、WTO体制のバランスが狂ったとも言えます。

そこで第二に国際秩序です。国際秩序の安定には経済相互依存が機能する、と主張された時代はすでに今は昔で、権威主義国家の台頭によって、相互依存を武器化する勢力の出現によって、相互依存に完全には頼ることができなくなりました。従って威圧国を包含する相互依存は修正されるべきで、自由貿易を前提としつつも経済安全保障の追求が必要となります。

そして現実的には2つの課題を念頭に置く必要があります。第一に米欧中の3大マーケットパワー国の存在です。これ自体で相互依存の時代から非対称依存の時代にシフトしたとも言えます。中国は巨大なマーケットパワー保有国であるため、トランプ関税への対抗措置を打てる国で、そのため両国は関税紛争に突入し、世界経済に深刻な影響を与えるはずです。加えて中国は、その力を利用し、世界の経済を自国に引き付ける戦略をとっており、トランプ関税で需要を失った国を取り込み、覇権の基礎固めをする可能性も指摘されてます。その点、欧州も巨大なマーケットパワー国であり、今後の対抗措置の動向も念頭に置く必要があります。

第二にASEANなどグローバルサウス諸国にもしっかりと目を配るべきです。貿易依存が高く、かつ米中双方との距離感が中心的な課題である諸国にとって、今回のトランプ関税は深刻な課題です。特にASEANは政治統合していませんので、マーケットパワーはありますが武器化はできず、防衛力が高いとは言えません。日本はそもそも貿易依存度がそれほど高くなく、マーケットパワーはありませんが、輸出拠点をアジア諸国など第三国に築いています。こうした構造を念頭に置く必要があります。

以上を踏まえたうえで、自由貿易の理念を守るためには、理想的にはWTO改革。包括的な安全保障条項を廃止したうえで経済安全保障を前提として再構築する。次善策は、同様の趣旨で貿易管理の新たな国際機関を設置する。ただ直ちには困難です。従って現実的には、自由貿易を基調としつつもサプライチェーンリスク等を管理しながら権威主義国に翻弄されないよう貿易関係を多様化し、加えて自由貿易の魂を絶やさないため、同志国との緩やかな自由貿易グループや、少数国間で協定などを志向し始めることは考えうるはずです。産業サプライチェーンは再構築を検討せざるを得ません。

■国内経済ーアテンションポリシーは混乱を生むだけ

日米の貿易取引は、自動車は6兆円程度の輸出超過、その他、医薬品1兆円弱、農水産物は2兆円弱、医療機器は1兆円弱の輸入超過、加えて貿易収支ではありませんが、サービス収支のうち、有名なデジタルサービス赤字は7兆円で対米赤字はその半分程度と言われます。その上で、日本は、対米投資は世界1位、対米GDP貢献は英に次ぐ2位、R&D投資はスイスや独に次ぐ3位の国です。以前のように対米黒字が大げさになっていることはないことがわかります。これは、何度か指摘していますが、日本の企業が生産拠点を海外に移したこと、国内投資より海外投資に積極的であったことが理由です。

現時点でトランプ関税の上乗せ措置は90日間停止していますが、上乗せ措置がなくても10%。加えて産業ごとの個別の措置は残っています。世界に対する影響は甚大です。ただ、マーケットに助けられています。皆様ご存じの通り、上乗せ措置を発表した直後、株も為替も、そして国債も売られたため、これを嫌気して延期となったと言われています。90日後も同様の傾向をマーケットは示すはずなので、果たして実際に上乗せ措置解除が可能なのか疑われます。そもそもトランプ政権の本位がどこにあるのかも定かではないので、上乗せ措置で一喜一憂することないのではないかとさえ思います。

その中で、日本にとって最大の課題は25%の関税が残る自動車です。また医薬品も近く発表するとされており、不安定な状況が続きます。従って、日本としてとるべきは、関連産業の国内雇用を死守するために、影響を受ける輸出業種を中心に、産業支援を供給サイドと需要サイドの両面で実施する必要があります。資金繰り支援や相談窓口設置はすでに政府が対応しています。一方で、国民全員への給付や減税の話も出ていますが、根拠不明です。SNSのアテンションエコノミーならぬ、政治のアテンション政策(政策の中身より注目される政策)は、混乱を生むだけです(アテンションの設計も良くありませんが)。政策効果の説明責任が果たせる確実な政策が必要です。

中長期的にはどうなるのか。まずアメリカですが、トランプ関税による輸入物価上昇要因と、中国対抗関税による在庫調整の輸出物価下落要因が混在することになるはずで、業種によって大きく分かれるはずです。総合的に言えば、貿易取引構造と貿易赤字国であることを考えれば、インフレ要因が強いはずですが、関税で直ちに価格転嫁が進むとは考えにくいので、デフレとなった後にインフレ圧力が強くなると見ています。従って、金利もそれに従って動くはずです。在庫調整や生産調整の期間の見通しは立ちにくく臨機応変の対応となるはずです。その後の見通しは、深刻なスタグフレーションは考えにくいですが、経済鈍化傾向に転じる可能性は高いと見ています。

そして日本ですが、米国国内インフレは輸出物価に価格転嫁されますので、アメリカからの輸入物価は上昇します。アメリカの輸出は、原油やLNGなど原材料が最も多く、次いで計算機や半導体などの資本財、医薬品や携帯などの消費財、そして自動車などが続きます。見落としがちなのですが、貿易収支だけではなくサービス収支にも目を向けるべきで、日本はネットサービスの消費が多く年間7兆円、そのうち半分をアメリカから調達しています。これらについても調整期間を得たのちには、価格転嫁される可能性が高いと見ています。つまりそれだけ経済にマイナスの影響となります。

こうした交易条件の悪化は、本来は付加価値創造と成長力で埋めなければならないのですが、トランプ関税の直接の影響で、単純に生産拠点を米国にシフトしようとの動きには警戒すべきです。それは、もはやすでに日本は国際収支構造でみると貿易立国ではなく、産業空洞化が相当すすんでおり、所得収支が海外に再投資されているので、日本は国内投資が進まず、付加価値を生まない国になっています。従って、国内投資を促進する方向に向かわなければなりません。その上で、あらゆる支援を成長力強化に繋がる視点で積み上げていく必要があります。その基礎になるのが、既存の国内経済政策の着実な実行であり、それは国内供給力・生産力の強化や、賃上げを伴う価格転嫁構造の実現です。

■関税交渉ー志向すべき方向性

トランプ関税は、貿易赤字額を輸入量で割って半分にした数字だと言われています。これが本当なのだとすれば、コメ関税700%などの誤解を解くことは、絶対に必要だとしても、殆どディールにならないようにも思います。政策というよりは、むしろ交渉なので、あらゆる選択肢を携えて、丁々発止で議論するしかありません。交渉ごとですので、詳細を書き連ねることは控えますが、上で述べた国際秩序構造や国内経済を念頭に、トランプ大統領というよりは、アメリカ国民が負担だと感じている問題に大統領が応えられる方向での交渉であるべきで、単に許しを請うようなことではなく、共に国際政治的にも経済的にも価値を築き増やす方向を志向し、アメリカの真の友人として毅然と交渉すべきだと感じます。