【善然庵閑話】AIと壁:言葉と政治と宗教と科学技術

久しぶりに善然庵閑話シリーズとして由無し事を書き綴ってみました。お暇な方限定とさせていただきます。

結論から書くと、人類の進化というものは、言葉や政治や宗教やテクノロジーのそれぞれの壁が、それぞれお互いに壊し壊されることによって、少しずつ進んで来たのではないか、ということを漠然と思っています。例えばルターやグーテンベルグは(後に詳述しますが)、自らが為したことが(自分ではどのような社会インパクトをもたらすのかは想像してなかったと思いますが)、結果的に壁を壊していった。例えば人工知能も、どこかの壁を壊していくはず。ただ、壊れたから必ず良くなるのかといえば、分からない。壊れた時に、社会というものが、一体どういう社会になって、あるいはどういう社会を構築すべきなのか、ということを考えておかなければならないのだろうと思っています。

古代ローマ帝国が滅亡の道をたどる過程で、踏ん張った皇帝に3世紀終わり頃のコンスタンティヌス1世がいます。どうやって踏ん張ったのかというと、政治安定化のツールとしてキリスト教を使った。たぶんこの方はそれほど信心深い人ではなかったと見ていますが、前任のディオクレティアヌス皇帝がキリストを迫害したのに対して、ミラノ勅令を発布してキリスト教を国教化した。つまりキリスト教の力を使って自らを神格化し、垂直上昇させ(俺は神だ民よひざま付け的発想)、統治上の箔付けを行うことで、政治を安定化させようとした。

このコンスタンティヌス1世、キリスト教の世界では有名なニケイア公会議(史上初の宗教会議)によって三位一体等を確定し宗教解釈論争に一定の終止符を打った人物としても知られています(キリストは単なる神の子供に過ぎないとするアリウス派と、キリストも父親も神=三位一体とするアタナシウス派の論争など)。こうした課題に積極的に関与したのも、キリスト制度を整備しなければ政治が安定しないと考えたからだと解釈できます。そして、このキリスト教によって神格化された皇帝による統治システムは、恐らくは中世以降のルターの宗教改革まで続くことになり(神聖ローマ帝国)、そこで終焉というか失敗に終わる。現代人的には宗教によって統治しようなんてことは愚の骨頂で、失敗は自明の理でトリビアル。

余談ですが、日本では江戸時代初期にあたります。丁度、陽明学が席巻する前の朱子学の世界。朱子学は結局は徳を積んだ人のみが為政者になるべきだ、という政治の一側面では、神聖ローマ帝国と同様の発想になるわけで、陽明学が入った瞬間というのが、丁度ルターの宗教改革と同じ精神革命を起こすことになるのだと思います。

さて、ルターの宗教改革の原点は、贖宥状を信者に売りさばいて原資を得ていたカトリックへの抗議と反駁(プロテスタント)でしたが、より大きな歴史的意味合いは、それが信者個人の解放に繋がり、神による統治の終わりの始まりとなって、結果的に神格皇帝権力の弱体化と、それらをトリガーとした30年戦争の勃発、そして紛争解決手段としての国際法概念(ウェストファリア条約)の成立に繋がります。

そして、この宗教改革もグーテンベルグの活版印刷技術の存在なくして成立はしていなかったはずなので、そうなると必然的に30年戦争ももっと遅れたし、ウェストファリア概念も遅れ、結局はフランス革命も遅れて国民国家概念(政治の進化)も遅れた。つまり、テクノロジーの進化が宗教の壁を破り、それが共和制の拡散という政治の進化に繋がっていくという歴史の流れがある。そしてまた政治の進化(リーダーシップ)によって、テクノロジーの進化に繋がっていく。

結局、テクノロジーと宗教と政治のリンケージで人類は進化してきたと言え、社会的インパクト(人類の進化)は、テクノロジーや科学技術と、宗教と、政治が、三つ巴の様相で、お互いがお互いの壁を突き破りながら、生み出されたと言えると思います。

言語も壁がある。だから四つ巴。

例えばこのコンスタンティヌス1世を生んだ地はセルビアですが、丁度このセルビアあたりが典型例なのだと思います。セルビアと言えばバルカン半島。近現代史としては紛争の絶えない地域として知られていますが(ヨーロッパの火薬庫)、それは今も昔も同じ。紀元前にこの地域はローマ帝国の支配下に入りますが、以降、オスマン帝国やオーストリア・ハンガリー帝国の支配も受けます。カトリックとギリシャ正教の境目であった時代もあるし、イスラムとキリストの境目にも近い時代があった。そして、スラブ人と非スラブ人の境目でもある。多くの民族が居住していて複雑な地域であったというのは変わりない。つまりゴチャゴチャしている。

比較的最近で言えば、このあたりの地域は無理やり統合されて1つの国になっていた時代があった。セルビアを含む連邦制をとっていたユーゴスラビアです。7つの国境、6つの共和国、5つの民族、4つの言語、3つの宗教、2つの文字、1つの国家と表現された国ですが、結局、クロアチア紛争やらボスニア・ヘルツェゴビナ紛争やらコソボ紛争やらでNATOの軍事介入も招いて大騒ぎとなり、最終的にはやっぱりばらばらになりました。今でもコソボは相変わらずセルビアからの独立を果たせずに国連による管理がなされています(UNMIK)。

そもそもなんで統一なんかしようとしたのかと言えば、ルーツにあるのが汎スラブ主義。スラブ民族(スラブ語系を話す民族)の連帯と統一を目指す思想のことで、チェコスロバキア(西スラブ人)もユーゴスラビア(南スラブ人)もこの思想が原点になっていたのだと思います。結局、今のところ失敗しているように見えます。

よくよく考えると、汎スラブ主義と言っても、お互いに言葉が通じないと言われています。汎スラブは古代ルーシ国あたり(現在のウクライナとかベラルーシあたり?)が発祥らしく、今では西スラブ語、東スラブ語、南スラブ語の3パターンに集約できるそうなのですが、同じ東スラブ語系でもウクライナ語・ベラルーシ語・ロシア語・・・、西スラブ語系のチェコ語・スロバキア語・ポーランド語・・・、南スラブ語のボスニア語・セルビア語・クロアチア語・モンテネグロ語・スロベニア語・ブルガリア語・マケドニア語・・・。私が聞いてもさっぱり違いが分かりませんが、それぞれ違うらしい。関西弁と東北弁の違いとは次元の異なる違いだと聞きます。

更に考えてみたら、同じラテン語をルーツにもつフランス語やイタリア語やスペイン語なども確かにお互いに全然違うし、ゲルマン語をルーツに持つ英語とドイツ語も全然違う。中東の世界も、イスラムのスンニ派やシーア派などの宗教概念で捉えがちですが、そもそもアラブ語を話すアラブ人、オスマン帝国をルーツに持つトルコ語を話すトルコ人、ペルシャ帝国をルーツにもつペルシャ語を話すイラン人(ペルシャ人)、クルド語を話すクルド人など、その話す言葉で国際政治を解釈した方が分かりやすい場合もある。

もし言語がこれだけ分かれる前にグーテンベルクが誕生していれば、国際政治の歴史も随分違ったのではないかと思います。あるいは、言語がこれほど分かれる前に汎スラブ主義をもってユーゴスラビア的なものを作れたらうまく行ったのかもしれないとも思います。

先日、人工知能の牽引役である松尾豊先生が何かの対談で、人工知能によって翻訳機を普及させたい、という趣旨のことをおっしゃっていたのですが、最初、?、と思った。えらくシャビーなことをおっしゃるな、と。しかし、すぐになるほどと気づいた。グローバル化によって、ヒト・モノ・カネの流れは随分と自由になったけど、結局人間社会の壁というのは、言語なのだよね、と。

つまり、テクノロジーと宗教と政治だけではなく、言葉というのも人類の進化という意味では、主要な柱の一つであって、まさに四つ巴。それぞれの壁がそれぞれ相乗効果によって一つ一つ壊れていくことで、人類は進化していくのだと思います。

そして人工知能が社会にもたらすインパクトはかなり大きいと想像しておかなければなりません(今のところそうでもないですが)。人工知能というテクノロジーがどこかの壁を低くしたときに、その先に何があるのかということです。そして、逆に言えば、人工知能というツールを得たとき、どういう社会を目指すべきなのか、ということが重要です。

そして、テクノロジーの進化に伴って目指すべき社会との接点で生じる様々な倫理的・法的・社会課題(ELSI; Ethical, Legal and Social Implications)を人類は適切に配慮する、いわば社会とテクノロジーの間の分界面を精緻に設計しなければなりません。それは、当然国内に閉じた分界面であってはならず、世界に通用する分界面にしておくべきです。さらに言えば、その分界面は、世界のESGのための分界面でもある必要があって、自国のESGのための適切な知的財産戦略とビジネスモデルを埋め込んだものでもあるような、価値を生み出す分界面である必要もあります。

とりとめのない、けど重要な気がする、そんな話を長々と書いてしまいました。